
ルールはカイテキのためにある
「お姉ちゃん、6時です!」
モモちゃんが1階から呼ぶ。
2階の私は「はーい」と返事をする。
5時50分。
今朝は、いい感じだな~。
アイカタくんに、
「今朝、モモちゃんが6時に起こしてくれてん」
と、喜び勇んで報告したら、
「夜中の1時にも呼んでたよね」と。
アイカタくんは、それで起きてしまったらしい。
?
まったく記憶がない。
なんと私は返事をしていたらしいのに…
それなのに、記憶がない。
環境に順応して
そんなヘンなスキルを身につけたんだろうか…
「今朝は8時にシャワーです」とモモちゃんが言う。
7時50分ごろ確認に行くと、
「8時にシャワー、大丈夫」と言う。
私は準備をはじめて、
モモちゃんはキゲンよくシャワーを楽しんだ。
そういえばゆうべ、
「夜9時にコロッケ食べます」
と言うので、
「わかりました」と準備をしておいた。
モモちゃんはダイニングに来ると、
「コロッケ、できてる?」と尋ねた。
私が「できてるよ」と答えると、
「ありがとう」と言った。
いい感じ。
モモちゃんは最近、
「私とぶつからないこと」は、
いいことなんじゃないかと、
少しだけ、
実感しはじめたように思う。
「夜9時にコロッケ食べます」という時間設定も、
晩遅くにコロッケ食べたら、
体にあまりよくないよ、と、
私が何度も言ったからだった。
とにかくこれ以上、
体を悪くすることは避けたい。
広島時代のモモちゃんは、
おなかがすけば夜中の3時でも、
炊飯器の中のご飯を勝手に食べていたし、
ベッドの上にお菓子をキープして、
食べたいときに食べていた。
「モモちゃん、朝ごはん、
昼ご飯、おやつ、晩ごはんをしっかり食べて、
晩の10時くらいからは、
あんまり食べないほうがいいよ。
お姉ちゃんも寝るから、
お手伝いできないよ」
私はこれまで何度も何度も、
毎日、毎日、言い続けた。
一般の姉妹であれば、
「姉ちゃん、うるさいよ、好きなようにさせてよ」
「自分が寝るから、お手伝いできない? そっちの都合やろ」
なんてことになる?
一般の兄弟姉妹の会話が、すでにわからない。
モモちゃんだって、
「自由に食べたい」
「勝手に食べたい」
「思いついたときにシャワーさせてよ」
くらいに思うことはあるかもしれない。
でも、
私と協力しあったほうが、
ケンカになるより、ずっといい。
私とモモちゃんの両方が、
「それでいい」と思えるルールを守れるなら、
そのほうが、うまくいく。
ルールがあって、
それを守るほうが快適。
最近のモモちゃんを見ていると、
社会に「ルール」というものが成り立つのはなぜなのか、
そんなことを考えさせられる。
うちの実家は、
母がルールブックだったけど、
父が背後で全権を握っていた感じがある。
母は父に逆らわないが、
子どもたちは、母に逆らえない。
戦前の考え方からすると、
子が親に従うのは、当然だったんだろう。
けど、
高度成長期とともに成長し、
古い常識がぶち壊されるのを見てきた世代の私は、
「はて、
家庭内のルールとは何やろう」と、
とまどいながら子育てをするしかなかった。
親が子にルールを押し付けるのは、
なんだか、ちがう。
でも、ルールなしに集団は成り立たない。
やっぱ、
もっとも小さい人、弱い人のことを考えて、
ルールづくりをしたほうがいいだろう。
赤ちゃんとか。
介護の必要な人とか。
家族のなかに
「いやだーッ」と爆発する人が出てきたら、
そのルールは見直さなくてはならないだろう。
でないと人と人は破綻する。
ゴタゴタした日常のなかに、
「だいたいこういうルールでしょ」という
暗黙の了解ができていく。
私とモモちゃんとの間にも、
ルールらしきものが、
少しずつできていくんだな。
私がモモちゃんに気配りしているように、
モモちゃんも可能な範囲で、
私に気配りしているように思える。
ルールがあったほうが、
「うまくいく」んじゃないかな、
つらいことが減って、
いいことが増えるんじゃないかな、
モモちゃんも何となく、
そう思っているのかもしれない。
…もっと気配りしてよね、もっとね。
できる範囲でいいからね。