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「w・a・t・e・r」だ、宝探しだ!
小学生のころの私は、
伝記を読むのが大好きだった。
とくに好きだったのが、
「ヘレン・ケラー」と
「マリー・キュリー」で、
大筋は忘れているのに、
細かいシーン描写を覚えていたりする。
きっと、
何度も読んだんだろうな、
同じとこばっかり。
ヘレン・ケラーは小さいころの病気で、
目が見えず、耳が聞こえず、
話すこともできなくなってしまった。
思い通りにならないつらさから、
わめく、暴れる、まわりに当たり散らすなど、
7歳までは、手がつけられない状態だったという。
モモちゃんはこういう話に敏感なので、
「ヘレンが、お友だちをいじめた」などと、
今でもときどき話している。
家庭教師として派遣されたサリヴァン先生が、
ヘレンを導いたエピソードは、
とってもとっても有名だと思う。
目が見えず、耳も聞こえなければ、
言葉を知ることも難しい。
サリヴァン先生は
いろいろ工夫をしたり、
厳しく指導しようとしたけど、
最初はうまくいかなかった。
両親も「お手上げ」だったヘレンを、
教え導くなんて難しいに決まってる…
小学生だった私には、
ヘレンって、
モモちゃんと似ている…と思えた。
そのころのモモちゃんは
目が見えて、耳も聞こえていたけど、
手がつけられない大暴れ、
予測のつかない奇行、わめき声なんかで
周囲を疲れさせていた。
サリヴァン先生は7歳のヘレンに、
てこずって、てこずって、てこずって、
どうやって道を開けばいいのだろうかと、
悩みまくる日々だったようだ。
ある日、
しぶきをあげる井戸水がかかり、
びしょびしょになっていたヘレンの手の上に
指先で「w・a・t・e・r」と、つづってみた。
ヘレンは、
視力も聴力も話力も閉ざされていたけど、
知りたいという力は持っていて、
稲妻が走るように「そうか!」と理解する。
今、私の手をぬらしているもの、
それは「w・a・t・e・r」という存在なのでは?
ヘレンはサリヴァン先生のマネをして、
自分の手に、つづってみる。
「w・a・t・e・r」
「私」「手」「ぬらす」という言葉すら認識できていない、
それどころか「言葉」の存在すら認識できていない、
なんにもないけれど、
のどをうるおし、不快な汚れを落としてくれる、
その心地よい感触は、
「w・a・t・e・r」なんだな…
ヘレンの貴重な第一歩だった。
これって、
小学生のときの記憶を頼りに書いているので、
事実とズレてるとこがあるかもしれないけど、
なんとなく、
そんな感じのエピソードが入っていたように思う。
最近、
このサリヴァン先生のことをよく思い出す。
ようやったよなあ、センセ。
ヘレンに合ったやり方で、
ヘレンが「育ちたい」と思うこころを刺激して、
大事な一歩が踏み出せるように導く。
この
「ヘレンに合ったやり方」というのが、
途方もなく難しいため、
両親ですら「お手上げ」だった。
ヘレンに「育ちたい」と思うこころがあるのか?
あるにちがいないと固く信じることも、
コミュニケーションができない段階では、
とても難しいことだったと思う。
モモちゃんと私の暮らしのなかにも、
この「w・a・t・e・r」のようなことが、
きっとまだまだ隠れているはずだと私は思った。
モモちゃんの視力は、
もう回復しない可能性が高いけど、
ほかにも宝物があるはずで、
それを見失っていてはいけないな…
サリヴァン先生のエピソードは、
そういう気持ちにさせてくれる。
昨日、夕飯を食べていると、
モモちゃんがアイカタくんに声をかけた。
「ねえ、今、何時?」
私とモモちゃんはダイニングで食事中だったけど、
アイカタくんはリビングでテレビを観ていた。
いつもどおり、
ただ話しかけるきっかけがほしい、
それだけだろうなとは思ったけど、
モモちゃんは1分ごとに時間を尋ねることもよくある。
そこまで、たたみかけられると、
尋ねられたほうも、親切ではいられなくなるかも。
私「ねえ、モモちゃん」
モモちゃん「はい」
私「モモちゃんはよく、時間を尋ねて、教えてもらっているでしょ」
モモちゃん「はい」
私「教えてもらうのはいいけど、
テレビを観ている人に何度も何度も尋ねると、
テレビがちゃんと観れなくて、
つらいなと思うんじゃないかな」
モモちゃん「つらいです」
私「モモちゃんは、
大好きなドラマを観ている途中で、
お姉ちゃんが何度も何度も
何時、何時、と尋ねてきたら、
どんな感じがしますか」
モモちゃん「いやです」
私「それと一緒だからね、
テレビを観ているときには、あまりたくさん尋ねないでね」
モモちゃん「はい」
私「エライッ!」
モモちゃん「エライッ!」
サリヴァン先生は、
たいへんだっただろうな。
モモちゃんは耳が聞こえて、
話すこともできる。
ただ、
「これをしたら、相手がどう思うか」について、
考えて行動するのは苦手。
でも、
人と仲良くしたい気持ちはちゃんとある。
自分が不快なことは、
相手も不快かも?
という想像も、ちょびっとなら、できる。
「あ、そうか」という宝箱を開けよう。
モモちゃんが宝箱を開けられるように、
私はちょっとだけ、手助けすればいい。
手助けがまちがっていたら、
やり直せばいい。
子どもたちが、
育つチカラを持っているように、
私たちだって何歳になっても、
育ちたいときに、育つ気がする。