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ハンバーグの注射

モモちゃんのおしゃべりが、
多彩になってきている。

わからないことが、ものすごく多いけど、
それでも、
何となくモモちゃんの気持ちを知る
ヒントになりそうなことも多い。

今年の11月23日、
モモちゃんはちょっと落ち着かなかった。
夜になってから
「ひとりで寝るのがこわい」と言いはじめて、
さらに
「勤労感謝の日がこわい」とも言いはじめた。
それが翌日になっても続いたので、
私はモモちゃんに尋ねた。
「モモちゃん、勤労感謝の日は昨日だよ。
勤労感謝の日はもう終わったよ。
どうして勤労感謝の日がこわいの?」
モモちゃんは少し考えて、こう言った。

「勤労感謝の日、
おかあさんアヒルは、いません」

絵本の中の話なのか?
自分の母親をアヒルに見立てているのか?
どうして「おかあさんアヒル」は、いないのか?
謎が深まったまんま、
話はそこで終わってしまった。

モモちゃんは自分の話していることが、
ほかの人とはちがうって、
わかっているんだろうか。
私はよく、そのことを考える。

人は、とくに日本人は、
周囲の人とちがっていることを恐れる。

ずいぶん昔…

小学生のころ、
朝礼で整列しているときに、
うつむいたりしていると、注意された。
「みんな」が前を向いているときは、
「わたし」も前を向かなければならない。
「みんな」が黙っているときは、
「わたし」も、後ろにいる友だちと、
笑ったりおしゃべりしてはいけない。
先生に叱られる。

モモちゃんも、
一応、同じような環境で育ったはず。
「みんな」が前を向いているときは前を…
…モモちゃんは向いていなかっただろうな。

「みんな」が話していることを吸収して、
「わたし」は何となく、
言っていいことと悪いことを知る。
誰かが笑われているのを見て、
まわりとなじむ言動と、
「笑われる言動」の区別をつけていく。

今はもう、
モモちゃんの言動を叱ったり、
笑ったりする人はいない。

でも幼稚園で集団生活がはじまってから、
就労支援やデイサービスのような支援施設に行くまで、
「みんながしていること」や
「先生から叱られること」や
「みんなから笑われること」なんかを、
さんざん見聞きしてきたはずなのに、
モモちゃんのおしゃべりは、
「わが道を行く」し「どこ吹く風」。

モモちゃんは、
まわりの人と、じぶんのちがいを気にしない。
もしかしたら、
気にすることはあるのかもしれないけど、
軌道修正には、つながらない。

それでも少しずつ、
私は「モモちゃん語」が
ヘルパーさんたちに通じるように、
橋渡しをしている。

「チョコパン、キゲン悪い」

これをモモちゃんにいきなり言われても、
アゼンとするしかない。
モモちゃん語の傾向として、
言いたいことと、
食べものの名前を「自由に」くっつけてしまう、
というのがある。

「去年のカレー、怒ってる」とか、
「チーズのお父さん、泣いている」とか。

その傾向はわかるけど、
モモちゃんの言いたいことは、
私にもわからない。

ほかにも、
モモちゃんは何でも「の」で、
つないでしまう傾向がある。

「ハンバーグの注射」とか、
「ねこちゃんの焼き芋ないている」とか。

言っていることが
わからないだけなら、
「そうね」で済ませるんだけど、
わめきながら言っていたり、
泣いたり怒ったりしていると、
聞いているほうの頭はゴチャゴチャになる。

モモちゃんは、
そういう表現をすると周囲が困るってことを、
なかなか学ぶことができない。
たぶんまわりが困っていることはわかっているけど、
モモちゃん自身も困っているので、
「わが道を行く」や「どこ吹く風」が勝ってしまう。

そんなモモちゃんも、
ときどき、
「まわりとなじむこと」をいきなり言うことがある。

「なんで、お酒はハタチを過ぎてから?」

普通の質問ですな。
ふつう。

今度はこっちが
どう答えていいのか悩んでしまう。
「法律で決まっているから」と返すけど、
そもそも法律って何なのか、
モモちゃんにどの程度、理解できるんだろうか。

私たちは日々どうやって、
「まわりとなじむ人」を維持し続けているんだろう。

モモちゃんの質問に答えながら、
そんなことを考えていた。

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