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どくははVSどくむすめ

今日のモモちゃんは
早朝から大荒れだった。

理由はだいたいわかっていて、
ひとつは
うちの子どもたちの帰省で、
家の中の雰囲気がちがってしまったこと、
もうひとつは、
今日が亡き母の誕生日だから。

私とモモちゃんは
ちょっと世間一般から
ズレちゃっているのかもしれないけど、
命日より、誕生日のほうが悲しい。

たぶん誕生日は50回以上も祝ってきて、
なんだかんだ幸せだったのに、
それが唐突に失われてしまって、
まだ立ち直れていないのだと思う。

「毒親」とか「毒母」という日本語があるらしい。

「毒」とまでは言わないけれど、
うちの母は「超」のつく過干渉だった。

私が歯を食いしばって
大学受験を突破しようと頑張ったのも、
母から離れるためだった。
なのに結局、第一志望校に落ちて、
実家から通うことになってしまった…

私はサークル活動とバイトで、
ほとんど家にいない状態になった。

帰宅してからの短い時間、
母は「話をする時間もない」
「帰るのが遅すぎる」
「そんなにバイトせなアカンのか」などなど、
カンカンになって怒っていたけど、
私はそれがまたイヤで、
夜遅く帰る日が多かったと思う。

母は、
私の帰宅時間を毎晩確認し、
家から細い路地でつながっている
国道まで私を迎えに来た。

夜の11時とか11時半とかに、
国道沿いに、ぽつねんと立って待っている。
「大きい道だし、
街灯も明るいし、大丈夫だから」と言っても、きかない。

私はひどい娘だったので、
晩ごはんを食べるかどうか、
ちゃんと決めずに家を出ることも多かった。
スマホなんてない時代。
母は必ず私のぶんの夕食も作っていた。

ときには
「いらないって言ったやんか」
「そんなこと聞いてないわ」などと、
夕ごはんで大ゲンカになることもあった。
たぶん、
結局、食べなかったこともあると思う。

父と母は私が高校3年生のとき、
モモちゃんの進学のために、離れて暮らした。
母とモモちゃんが隣の市に部屋を借りて、
父と私が元の家に残った。

大学に入って私が
家に寄り付かず、
反抗的に見える態度をとるのは、
大学受験のときに、
母がそばにいなかったからだろう、
お姉ちゃんを放っておいたからだろう。
父と母はそれを気に病んで、
私の「毒娘」ぶりをガマンしていたようだ。

その後、私も母親になって、
子どもをふたり育てた。

次男くんは前触れなく帰省することが多く、
「今日、そっち帰るわ」
と、いきなりlineがあったりする。
私は大慌てで、
「晩ごはんは、どーすんの?」と返信するけど、
なかなか結論が出なくて、
「もー、こっちの身にもなってよ!」と思う。

長男くんは
私からのlineをなかなか既読にしてくれない。
送った内容はつまらなくても、
数日間、
既読にすらならないと、
「生きているのか…?」と心配になる。

…。

子どもを育てるようになってから、
ようやく、
夜遅く帰ってくる娘のことが、
心配だっただろうなとわかる。

「晩ごはん、ないよ」なんて、
言いたくなかった気持ちもわかる。

モモちゃんは人目もはばからず、
「おかーさーん」と呼んで、泣いている。

私のぶんまで、
お母さんのこと、思い出してあげてね。

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