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話すだけじゃ、わかりあえなくても

最近のモモちゃんは
叫んだりモノを投げたりしなくなり、
穏やかな毎日を送っている。

それでも憂鬱なことは残っている。
「お姉ちゃん、一緒に寝て」攻撃だ。

ゆうべも夜10時ごろ、
ベッドに寝ころんでいるモモちゃんに
絵本を読みきかせて電気を消そうとしたら、
「お姉ちゃん、少しでいいから一緒に寝て」
と言われた。

来た。
ここんところ、毎日。

私は「モモちゃん、お姉ちゃんは
することがたくさんあるから、
まだまだ寝られないのよ」と言った。
モモちゃんは「そーーーーーですか」と言った。

意外にもゴネることはなく、
そのまま眠ったようだったけど、
翌朝5時、
「お姉ちゃん、一緒に寝て」という
モモちゃんの声に起こされた。

わあ、またかあ!

私はワニ目になって
「一緒に寝てもいいけど、テレビつけないでよ」と言った。
「テレビつけません」とモモちゃんは言った。

少し前の早朝、
「一緒に寝て」というので横で寝ていたら、
モモちゃんが突然テレビをつけたので、
私は「テレビつけるなら、一緒に寝てっていわないでよ」
と怒ったのだった。

朝早く起こされて、
せまい部屋で一緒に寝なきゃいけないだけでも
十分にフキゲンなのに、
モモちゃん自身は眠りもしないで
テレビをつけるなんて
ヒドい、ヒドすぎる、と私は思った。
その記憶がよみがえったので、
私は「テレビつけないで」と念を押した。

そのついでに、
ウルトラワニ目で私は言った。

「お姉ちゃん、テレビきらいだから」

するとモモちゃんは、
しばらく黙ってから言った。

「お姉ちゃんは、どうしてテレビがきらい?」

え? なんつった?
それ、質問だよね?

モモちゃんは「どうして」「なんで」から始まる、
質問のような話し方をすることはあるけど、
よく聞くとそれは、
「どうしてお友だちを叩くの」とか、
「なんでウロチョロウロチョロするの」とか、
亡き母の口から出た非難のコトバばかりだった。

でも、
テレビの質問は、それとはちがっていた。

モモちゃんはきっと疑問に思ったのだろう。

「私の好きなテレビを、
お姉ちゃんはどうしてキライなの?」

あまりにもマトモな質問に、
少し驚いたものの、
私のフキゲンは止まらなかったため、
「テレビをつけてると、
聴きたくない音がいっぱいだから、いや。
お姉ちゃんは、聴きたい音だけ聴いていたいの」
と、返事をした。

モモちゃんは黙っていた。

モモちゃんが一緒に寝てほしい気持ち、
私には理解できない。
モモちゃんは「シンパイなの」と言う。
たぶん「心細い」くらいの意味なのかな。
私の子どもたちも一緒に寝てほしがった。
でも、
私はできれば一人で寝たい。
モモちゃんにも「一人で寝たい」と連呼した。

私がテレビを好きになれない気持ち、
モモちゃんにはきっと、理解できない。
私はテレビを全然観ないわけじゃないけど、
観たい番組しか観たくない。
モモちゃんに限らず
「テレビがついているほうが安心」という人も、
結構多いなと思うこともある。
でも、私はちがう。

モモちゃんがうちに引っ越してきてから、
なかなかうまく、話が通じないことがわかった。
でも最近、
話をすれば、うまくいくんじゃないか、
そういう希望が、少し見えてきている。

とはいっても、
話さえできれば何もかもうまくいくなら、
この地球上が、
今のようなことになっているはずもない。

話すだけじゃ、
わかりあえないのかもしれない。

少し前、
私は新聞の折り込みチラシの中に
「童謡コーラス教室」のチラシを見つけた。

私は2年前の冬、
モモちゃんがうちに引っ越してきて、
生活環境が落ち着いたら、
動物園で一緒にフラミンゴを見たり、
水族館でカメを見ようと思っていた。

モモちゃんの目が見えなくなるなんて、
まったく想像もつかなかったころのこと。

アイカタくんからは
「モモちゃんは目が見えないこと、
こっちが思うよりは気にしていないように見えるけど
どうなんやろね」
と尋ねられたことがある。

たぶんもう、
フラミンゴもカメも見に行けない。
でも、
歌を一緒に聴いたり歌ったりすることは、
もしかして、できるかも?

モモちゃんと話ができたとしても、
100%、
わかりあえるわけでもない。

おいしいものを一緒に食べること。
歌を一緒に聴いたり歌ったりすること。

そんなちょっとしたことの積み重ねで、
少しだけ近づいていけるというくらいで。

楽しいことは2倍に。
つらいことは2分の1に。

そういう毎日が
つくれますように。

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