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「擬態」は正しい対応なのか〜大人の発達障害・診断とその後②〜

「擬態」とは…
「他のものに様子や姿を似せること」

https://kotobank.jp/word/%E6%93%AC%E6%85%8B-50808

ASD当事者が使う「擬態」は、
もっぱら「世間の多数派に併せて自らの言動を似せること。そのように振る舞うこと」という意味合いで使われています。

果たしてそれは、本当に正しい対応であるのか
誕生日を前にし、今までの自分を振り返って
迷いのような部分もあるため、ざっと書き残していこうと思います。

そもそも現在の状況に至るまで


私は元々東日本の出身なのですが
訳あって、15年ほど前から現在に至るまで
西日本で暮らしております。

ワケってなに

15年ほど前の連れ合いが西日本の人間だった
というだけの理由です。

若さと先見性の無さから
妙な部分だけ”フッ軽”であったため
この後訪れる苦労については全く考えていませんでした。


以前の連れ合いの話

※愚痴や悪口は一切書きませんのでご安心ください

恐らく、彼は私と同じタイプの発達障害だったと思います。
(診断及び受診歴はありません)

本人もある程度自覚をしていたようですし
幼少時から苦労をしていたとも聞きました。

同じような苦労を経験しつつも
袂を分つに至った理由は様々ありますが
今振り返ると

「擬態をしようとしたか、しなかったか」

に、全てが集約されているように思えてなりません。


具体的にどういうことか

仕事や私生活において
自分の至らなさを他者から指摘されたり
改善を求められることは多々あるかと思います。

それら全てにおいて

身を削ってでも擬態の手掛かりにしたのが筆者
何がなんでも自分を貫き通したのが元・連れ合い

でした。

最初は些細な差しかなくても
日々を重ねるごとに、差は離れていくばかり。

最終的には、話し合いでは埋まらない溝になった
ということです。
連れ合いとは同じ方向を向いて歩むべきという教訓ですね。


「擬態」に対する双方の言い分

筆者の考え

袂を分つに至った心情ですが
何がなんでも自分を貫き通す元・連れ合いに対して
嫌悪感を催してしまったという点が一つあります。

この嫌悪感を例えるのであれば

人混みの路上で喫煙をし、吸い殻を路上に捨てる行為に対し
連れ合いに注意をしても
全く聞く耳を持たない、といった類に近いと思います。

明らかに世間の常識と違うことを
最初は行ってしまうのが私たちの特徴
です。
だからこそ、世間に合わせて学び・改善すべき

という自分の考えは今でも変わりません。
一切擬態する気のない元・連れ合いに
辟易としてしまったのです。

「擬態」をしない理由

連れ合いと話し合いを続ける中で

「なぜ、世間を学んだり
世間に合わせて自らの所作を改善することを
ここまで頑なに拒むのか」

と、聞いたことも当然ありました。
その答えは「保身のため」でした。

また、元・連れ合いはこうも言っていました。
いちいち聞き入れていたら、
俺はうつ病か何かになってしまうよ

当時の私は、それを逃げや言い訳の類としか
捉えることができませんでした。
なってから考えろ、とすら思うほどでした。

「擬態」をしないメリット


そんな言葉が出るくらいですから
彼は俗に言う「メン強」でした。

空気が読めなくて、我が強い人ほど
メンタルクリニックと程遠い
とは良く聞きますが、まさにその典型例です。

何を言われても、右から左。
注意をされても、改善をしない。
必要か不必要か、考えることも行わない。

だからこそ、勤務先のブラック企業で
昭和体質なブラック上司に何を言われても
辞めることなく勤め上げていたのだと思います。

「擬態」をするデメリット


一方、擬態をするべきとした私は
先日まで「適応障害」と診断され
メンクリでお薬を処方してもらっていた始末です。

悲しいことに、それが現実であり
また、皮肉なことに
元・連れ合いの言っていた

「いちいち聞き入れていたら、
俺はうつ病か何かになってしまうよ」

筆者自身の手で証明してしまった訳です。


環境の変化による捉え方の変化


「健康管理」は社会人の義務

「自己管理」という言葉は好きではありませんが
少なからず、自身の体調(メンタル面を含む)を
しっかり考えた上で行動するのは基本だと思います。

メンタルの調子を崩していた最中は
何にいくら気をつけていても
年中、原因不明の体調不良を起こし

その度に「自己管理」という言葉を聞かされていたので
この言葉は大嫌いなんですけれども
少なくとも努力をすることは義務だ、と考えています。

「生き方」に対する「価値観」の問題

言わずもがな、「擬態」は「義務」ではありません

ただ、自らの生きやすさ・生きにくさより前に
「極力、世間様に迷惑をかけずに生きたい」
という筆者の価値観があります。

発達障害として生まれた時点で絶対不可能なんですが。

未だに、以前の連れ合いのような
傍若無人な振る舞いをしている人間を見ると
生理的嫌悪感が先立ってしまい

とある件にて、一緒に取り組んでいた方達に
迷惑をかけてしまったばかりです。
本当に申し訳なかったと思っています。

しかしながら
元・連れ合いのような種族と対峙してしまうと
眠れなくなったり動悸がしたりするのも事実です。

まとめ

このように、体に拒否反応が起きてしまうほど
相容れない考え方であり
「水と油」状態ではあるものの

保身のため・メンタルを強く持つため
自身の健康管理」のため
擬態をしない、という生き方も一つの選択肢である

という事実を認めることができたのは
私自身の成長だと思います。
関わりたくはないですけれども。


来年の誕生日で
袂を分ったときの、元・連れ合いの年齢と同じになります。

同じ年齢に近づけば分かることもあるかも
と思って生きてきた部分もありました。
結果、今のところ5%くらい理解しました。

いいところは見習う
本来の擬態の基本はこうであると思います。
「世間に迎合する」ではないはずです。

なので、5%程度を理解した
理解したくもない考え方を
明日からの自分の糧に、僅かでもできればいい

そう思っています。

ワイ誕生日おめでとう。
めでたい歳でもないけど。



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