共生
共に生きるとはどういうことなのだろう。
健常者と障がい者が共に生きる。
とか?そういうこと?
『知的障がいを伴う自閉症』の息子
「喋るなんて奇跡は一生ないです。周りと比べて遅れがあるから、集団に入っても絶対に周りについて行けません。普通の保育園には入れないように。」
と保健所の言葉の先生(なんだ?それ?今思うとSTか何か?)に言われたのは1歳半の頃だっただろうか。
親子教室・児童相談所・近くの保育園…
どこからも断られ、どこにも行くところが見つからず、
それっぽい本を買っては、家でお勉強ごっこみたいなことをして、
あとは数か月に一度程度保健所の「言葉の相談」を受けて、
それでも、ちょっと検査をして遅れが広がっていると言われるだけ。
前出の保健所の言葉の先生に
「来るたびに遅れてますよ、遅れが広がってますよと言われるだけで、どうしていいのかは教えていただけない。保育園も幼稚園もダメ、未就学の子の親子教室もダメ、障がい児の通所施設も待ちが多くて重度の子が優先、じゃ、うちの子はどうすればいいんですか?遅れが広がっていると言われるのが分かっているのに、何もせず、ただじっと家で待っているしかないんですか?」
と聞いて、ようやくもらったのが地域の障がい者支援センターの電話番号だった。
支援センターに行くと、未就学障がい児向けの親子教室は定員いっぱいということで、我が家の息子の為に、新たに親子教室を増設するという。
そういうわけで、月一度のペースで子どもは息子と年子の娘(こちらは発達に障がい無し)の2人、大人は親子教室の先生2人と私の3人で、お遊戯とか手遊びとか、(私だけ)照れながらやってた。
数回しか通わなかったけど、こちらではいろいろ有益は情報をいただいて、普通の保育園に、(障がい児枠はいっぱいだったので)通常枠で登園できるようになった。
明らかな障がい、発達の遅れがあったにもかかわらず、そして、障がい児枠でなかったにもかかわらず、保育園では手厚くしていただいたし、他の園児たちも本当によくしてくれた。
奇跡はない。一生喋れないと言われた息子も、「おつかれさまぁー」とか「あ、しつれいします」とか、まさかの大人言葉を中心に覚えていった。
しかし、大人の都合で、この保育園も1年で退園、地元に帰ることになり、新しい保育園では障がい児枠などなく、先生方を混乱の渦に巻き込みながらも、方言を操るまでに成長した。
小学校の就学に際し、生活圏からは離れた支援学校(当時は養護学校)を選ぶか地域の普通学校を選ぶかという問題に直面した。
知的な遅れからいうと、普通学校で同級生と同じカリキュラムをこなすのは難しいのは明らか。
だが、自閉症でも他人との距離感が積極奇異型と思われる息子にとって、
多くの人と一緒に過ごすことはデメリットよりメリットの方が多いように感じた。
何より、おそらく大人になっても地域から出る確率は非常に低い息子。
だったら、せめて小学校時代ぐらいまでは地域の子どもの間で揉まれ、
地域の子として顔を覚えてもらっていた方がよい。
親が見ていないところで何かやらかしても、顔を知っている誰が時には叱ってくれ、時には助けてくれる環境を作れるとしたら小学校時代だけかもしれないと思って、地域の小学校の特別支援学級を選んだ。
地域はすごく懐が深かった。
時には息子を邪険に追い払う大人もいたし、「遊んであげる」と犬に投げた木の枝を持ってこらせるようなことを繰り返す子もいたが、
取っ組み合いでケンカをしてくれる子も
自分が倒れる息子の下敷きになって自転車練習に付き合ってくれる子もいた。
息子も友達や友達のお母さんの顔や名前を覚え、人付き合いの苦手な私をよそに、自力で新たな人間関係を構築していった。
小学校の高学年になって、担任の先生が「息子君を中心にクラスをまとめたい。」と言った。
私は息子だけが特別になることを望まない。
子どもはみんな特別だ。
みんな自分が主人公の物語の中にいて、みんなが中心であるべきだ。
息子を中心にはしないでください。
と言った気がする。よく覚えてないけど。
他の子と同じようにクラスの一員でいさせてください。
特別じゃない、みんなにとってのただのクラスメイトにしてほしい。
まあ、ちょっと変わったクラスメイトではあるのだろうけれど。
こういう人もいる。ああいう人もいる。
みんな背景にいろんなことがあって、
当たり前にいろんな人が生きている。
息子も私もその中の一人でいい。
共生ってそういうことではないのかな。