春眠蛙

年齢を重ねるごとに薄れていく自分の生きてきた記憶を、ほんの少しだけ頭にとどめておくために書いています。

春眠蛙

年齢を重ねるごとに薄れていく自分の生きてきた記憶を、ほんの少しだけ頭にとどめておくために書いています。

最近の記事

せいちゅうけいのうほう-闘病記④

昨年の9月30日、前日に受け取ったばかりの健康保険証を手に、いよいよ耳鼻科の予約を入れる。 市内にいくつか評判の耳鼻科はあるが、組織検査は必須だろうとの予想の上で、最新の検査機器があり、細胞診・組織生検もしているとのふれ込みの某耳鼻科にWEB予約を入れてみる。 息子の職場への送迎の帰りに「ちょっと病院寄ってくらぁー」ぐらいの軽いのりのメールを夫に送り、ドキドキの慣れない病院受診。 診察室に行くと、予想外にも女性のお医者様で、喉のポコンをちょっと触って「ああー、喉に水が溜まっ

    • せいちゅうけいのうほう-闘病記③

      さて、いよいよ9月になり、私もついにパートから常勤勤務。 今までの自営夫の扶養から外れることに。 ところが、この夫がマイペースののんびり屋でなかなか動かない。 書類を書いて社会保険事務所に郵送するだけの手続きが進まない。 「お前が扶養から外れても、俺の支払い金額は何も変わらないんだけど?」 いや、そういう問題じゃねーんだよ。私の職場の勤務時間が増えるんだから健康保険切り替えなきゃならないんだよ。こっちから外さなきゃ、新しいとこには入れないでしょ!そんなやりとりを数回続けた。

      • せいちゅうけいのうほう-闘病記②

        8月に喉にポコンとした腫れを見つけた後、不安に駆られながらも数週間様子を見ることにしたのは、ちょうど9月の健康保険の切り替えと重なったからだ。 ここでひとつ説明しなければならない。 長く被扶養者だったからと言えば言い訳になるが、この時、実はとてつもなく大きな勘違いをしていた私。 なんと、医療費負担は扶養家族なら3割、本人は1割と思い込んでいたのだ。 どうせなら負担額が減るまで待ってみるかと。 え〜、この期に及んで、いったいいつの時代に生きてたんだろう、私のバカ! とにかく、こ

        • せいちゅうけいのうほう-闘病記①

          今、私は自宅から車で1時間余り離れた病院に入院している。本日は術後5日目。 ここに至るまでの経過を書くには、まず、昨年の4月に遡らなければならない。 昨年4月、私はコロナウィルスに感染した。 なるべくして感染した。 そりゃ当然感染もするよねという状況である。 この感染についても、いろいろ思うことがあるのは山々なのだが、今回のこの記録とは趣旨が違うので省略する。 とにかく、昨年の春にコロナに感染し、さほど重症化はしなかったものの、高熱・咳・身体の痛みなどの一連を経験し、陽陽介

          障がいの重さって何だろう。

          障害支援区分というものがある。 どの程度のことが自分でできるか? どの程度の支援があればできるか? などのチェックをし、その結果によって、受けることのできる福祉サービスの内容が変わる。 ただ、身体・知的・精神・指定難病の、どの対象者にも同じ80のチェック項目で判断されるところに、多少ならずも無理が生じるような気もする。 知的障害のある人は知能検査というものも一つの判断基準になる。 知的障害のある人の親の立場としては、知的な重・軽は、障がいの困難さに比例するものではないと感

          障がいの重さって何だろう。

          共生

          共に生きるとはどういうことなのだろう。 健常者と障がい者が共に生きる。 とか?そういうこと? 『知的障がいを伴う自閉症』の息子 「喋るなんて奇跡は一生ないです。周りと比べて遅れがあるから、集団に入っても絶対に周りについて行けません。普通の保育園には入れないように。」 と保健所の言葉の先生(なんだ?それ?今思うとSTか何か?)に言われたのは1歳半の頃だっただろうか。 親子教室・児童相談所・近くの保育園… どこからも断られ、どこにも行くところが見つからず、 それっぽい本を買っ

          眉間

          ものすごくイライラしている。 イライラしていて何も手につかない時間が長引く日。 更年期? …というのはとっくに過ぎている気がする。 何かと思うと、多分、これは罪悪感なのだ。 だけど、それは私1人で背負うものではないのだ。 私はもう十分に支払ったのだ。 何も支払っていない人もいるのだ。 そして、これは私の人生をすべて差し出せという人への支払いなのだ。 私が支払う必要もないものなのだ。 自分の人生は他人に背負わせるものではなく 自分が背負うものなのだ。 誰かを見捨てることで

          父との思い出

          母から聞く父はひどい男で、私の父との最初の記憶はそこから始まる。 父は姉と私をかわいがってくれたし、よく遊んでもくれたし、遊園地や公園にも連れて行ってくれた。 なぜか覚えているのは父と姉と私で出かけたこと。 そこに母がいた記憶ない。 多分、母も一緒に出かけていたのだろうと思うのだけど、父との思い出に母の姿はあまり登場してこない。 ただ、母は父のいないところで、常に私に父への愚痴をこぼしていたので、私にとっては間違いなく、父は母をいじめる悪の存在だった。 母にしてみたら、父

          父との思い出

          小さい頃の記憶

          子どもの頃の記憶は混沌としている。 母親のお腹にいたころの小さな記憶もうっすらあるが、それも後で家族が話していたことを自分の記憶として上書きしたと言われれば、まあ、そんな気もする。 断片を覚えているのは3歳ごろぐらいか。 お気に入りの花柄のボレロ付きワンピース。 青い三輪車のハンドルについたヒラヒラ。 だが、そんな記憶の切れ端も、後から写真を見ただけなのかもしれない。 とにかく、私にとっては今思い返す記憶も当時の現実も、何か限りなく曖昧で、小学校に入学する年齢に達しても、しば

          小さい頃の記憶