ケンジ
私たち夫婦は予定通りの時間と場所に少し早めに到着をしていた。これから見せられるであろうケンジ5歳の写真とご対面である。私の胸は高鳴っていた。ある程度の素性は事前に伺ってはいたが、やはり気になるのは顔や雰囲気である。自分たちに少しでも似ているとか、そういった事ではなくいわゆる好みである、美少年だとかそういう話でもなく、何というか愛嬌のある顔とでもいったら良いのか、言葉では伝えづらいが、シンパシー的な直感的な何かを感じる事を期待していたのだ。
トントン、ノックの後、職員3人が深妙な顔つきをしながら部屋に入ってきた。はじめに何か話しをした記憶があるが、わたしは緊張のあまり会話の内容をまるで覚えていない。とにかく写真の事が気になって仕方がなかったのだ。彼の素性の話しをした後、唐突にスーッと写真が2枚差し出された。私はなんだか心霊写真でも覗き込むかのように薄目にしながらぼんやりと写っている子どもらしき被写体を確認し、ゆっくりと自らピントを合わせながら徐々に彼の姿を確認した。
ケンジ5歳、どこにでもいそうな普通の男の子であった。私は写真を凝視した。今日子も写真を見ている。私は何も感じなかった。彼は不細工でもなく美少年でもなく本当に普通の男の子であった。
今日子が可愛い子ですね、と言った。彼女の本心ではないだろうが、気に入らないと言う事でも無さそうだ。私も感想を求められたが、何か当たり障りのない返事をしたような気がする。何も感じません、正直困惑しています、などとは口が裂けても言えるワケなどなく、終始相手側に悟られないよう作り笑いをしていたのだ。面談の後、車内で今日子が言った。会ってみない?私には断る理由もなく、そうだね、と一言返事をした。何度も言うがそもそも不妊の原因は私にあり、この状況に至るまでの道のりは簡単ではなく、ようやく巡って来たこの機会を断わる理由などは微塵もないのだ。
私の感情は無であった。しかし今日子は違った、彼女は複雑ではあるが、この終わりのないトンネルから抜け出すための小さな希望を見つけたかのようであった。彼女が少しでも幸せならそれで良い。私には何もない。無でいいのだ。それでいいのだ。