普通の子どもとは

その日ケンジとは話すことは無かったが、彼の風貌や雰囲気は少し離れた場所からではあったが確認することはできた。しかし彼が一般的な子どもと比べ一体なにがどう違うのかというところまではよく分からなかった。少し暴力的な子どもの様な気もしたがその時はあまり気にもならなかった。行政の職員の話ではケンジは生粋の施設育ちで家庭というものを知らないそうだ。家庭を知らない?お父さんもお母さんも当然知らない。自分は裕福ではないが、一般的な家庭に育った人間として施設の生活が当たり前という事実は自分にとって未知の体験であり、彼の気持ちを想像することは容易ではなかった。親はなくとも子は育つ。そんなことわざが頭をよぎったが、親は無くても施設職員は必要であるし、誰かにご飯を食べさせてもらわなくては生きては行けないのだ。ケンジさん、不公にも親に捨てられ愛も知らずにここまで生きてきたのだ、これからもイバラの道は続くだろう、私には何が出来るのかも今はまだ良くわからないが、あなたが背負ったその暗闇をいつか超えて笑うことが出来たなら、その笑顔はきっと美しく輝くだろう。決して簡単な人生ではないだろうが、甘やかされて育った温室のブタにはない強さを勝ちとって欲しい。そんなセンチメンタルな気持ちになってしまった一日であった。


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