人生観
好きか嫌いか。2局的なものに落とし込めば、人生とはこれだけであると言える。
正しいかどうのとか、生きるのに必要かどうのとか、ヒトヘの迷惑がどうにとか、そんなもんは捨てて一度、自分が好きか嫌いなのかを見つめ直してほしい。
とても主観的な考えではあるが、主観的であるからこそ目を逸せない事柄だと思う。
むしろこれをナンセンスだと置いてけぼりにすることが、どれだけ目の前にあるものを捨てる行為なのかを考え直しして欲しい。
人とは主観的な生物でしか無い。
そう思う。
だからこそ好きか嫌いかという、2極化された問いに収束するものだと考えるし、少なくともまず、そこからだろう。
言えば、当人にとっての有か無かでしか無い。
これを後において何が決められるのだろうか?
何事においても、まず己にとって好きか嫌いかを己に問いてから、どのように行動するのかが決められるのだと切に思う。
社会的な観点においてこれは、極論的に自己中的な考え方として思われても仕方のないものであるとも思われるが、自己中心的で無い、あるいは主観的で無いして存在などいないだろう。
なのになぜ無視する様な社会性を求めるのだろうか?
あくまで主観的な思想がある社会ベースとした世界構成が必要では無いのか?
もしこんな考えが破滅しかもたらさないのであれば、滅ぶのが必定であると考える。
結局は臆病者のファンタシズムで直視を避けているだけの事柄である。
わざわざ。
言葉を変えて見たが伝わるだろうか?
世界を己の中に持とうとした人たちよ。
おまえたちの主観はどこにあるーー。