飯沼一家に謝罪します、私の好きな解釈 

考察ではなく、私の好きな解釈

考察という訳でもなく出された素材から私の好きな解釈を書き綴るだけのnoteです。
制作陣には完成されたシナリオがありそれに基づいてこの作品は制作されている。
しかし誰もがそのシナリオに辿り着けないよう情報の未開示であったり、誤った誘導だったりと視聴者をこの作品に惹きつける作り方をしている。
だからどんな考察をしたとしても何かしら辻褄が合わない事が出てきて妄想に近い根拠を持ち込まねば考察を作ることは出来ない。

それがこのシリーズの魅力なのだから仕方ない、ならば私は私の好きな解釈
をする。そしてここに残す。

結論から言うと
儀式は6つ行われ、どの儀式も正しい知識を持った状態で行われず、どれも失敗もしくは何も起きなかった。

それぞれの儀式

この作品ではわかりやすい儀式が3つ行われた。

  • 1. 1999年7月25日 矢代による飯沼家開運の儀式

  • 2. 1999年8月N日 明正による何かしらの儀式

  • 3. 2004年5月17日 矢代による四十九日の裁き

1の儀式の成否を考える。
飯沼家は番組の企画ではとても良い結果を残したが鏡に封じ込めたものは未だに健在であり最終的にも一家ともに亡くなるという悲惨なものとなっている。よって儀式は失敗とする
儀式から番組の撮影などの期間、日常生活が出来ておりこの儀式で何かしらに乗っ取られたと考えるのは難しいと考える。

2の儀式の成否を考える。
まず行われた時期から、良樹の所有物らしき写真からあの写真が出てきた事から7月末~8中と考え、他の写真では家族との微笑ましい写真であることから正常な意識を持っていた時期に撮られたとする。
願いの内容は不明だが最後の謝罪から家族の不運なりであると推測できる。
後述で解釈を述べるがこの儀式は、起こった結果は似たような物だがその原因は違い失敗であると考える。
不確かな根拠としては家族の不幸を望むにも事故や失踪など自分に都合の良い望みではなく自分でも恐怖してしまうような何かに取り憑かれる儀式を行ったとは思えない。
根拠とも言えないが儀式のプロとも言える矢代が失敗しているにも関わらず、アマチュアの儀式が成功したとは考え難い。

ここからが私の解釈。
これに加えて3つ儀式が存在したと考える。

  • 4. 1999年8月20~26日 明正を除く飯沼家と良樹による曰く付きスポットツアー

  • 5. 2004年5月17日 矢代による””謝罪””というなの儀式

  • 6. 2024年11月 明正による””謝罪””というなの儀式

4. 曰く付きスポットツアー

一見、1または2の結果として家族が狂いあんな場所に行ったと思えるかもしれないが私はこの行動が”異常な行動”としてよりも”稚拙な儀式”に見えた。
映像に残された9月以降の顔も見せず音も立てない立ち姿は明らかに異常だし、あちら側に行ける輪作りや良樹の状態は異常だ、ホラー作品の演出としてもよく見る何かに憑かれた人の行動だ。
それに対して家族全員でネット上の明らかに胡散臭いブログに乗っているそれぞれに繋がりのない曰く付きスポットを周るというのは幼稚な考えを持った不幸にあうホラー作品の大学生や動画投稿者の行動だ。
私はこの違和感にこういったシナリオを付けて解釈した。

  • 家族は1の儀式が成功したと思いスピリチュアルの存在信じ、家族の本当の願い(明正の排除)を叶えるべく自分たちだけで儀式を行う為に曰く付きスポットツアーを行った。夏休み中、上京していた良樹は一人で飯沼家にいる訳にもいかず同行した。

旅行映像では皆、表情は暗く静まり返っているが各所で景色や不可思議なものに興味を示すような行動を行っていた。これはまだ彼らには人間らしい感情や自由があったからだとする。
この稚拙な儀式の結果は何も起きなかっただ
儀式とは別にその場所に訪れた結果、彼らはこの世ならず者に憑かれ後の異常行動を行うようになった。

謝罪という名の儀式

謝罪とは行うものがする対象に対して自らの望みを希う行為だと私は思う。
この作品で行われた儀式もまた何かしらに自らの望みを希う行為だった。
5の矢代は自分の名前、立場、状況を伝え許しを請うという望みを希った。
6の明正は封印していた家族の末路を取ったテープを他人に見せ、犯し罪の許しを願った、家族に対してか良樹に対してか社会に対してか不明だが。
(特に解釈に関わらないが10月に起きた火事は明正の放火と考えている。明正本人は心中と言っているがあの時点で夫の意識はなく虚ろな何かになっていたし報道でも心中らしき情報はなかった)

この2つの儀式の結果は失敗である。その理由はどちらも自らが行った儀式の結果は勘違いしており真相を理解せず対象もあやふやなまま行われたからである。その願いは誰にも受け入れられず謝罪を受けた対象も許しを与えることはなかった。

中途半端な知識で儀式なんてやっちゃいけない

これらの解釈に至ったのは良樹母のセリフからである。
中途半端なものは必ず失敗し、不運を招くそんなセリフからどの儀式も成功したとは思えなくなった結果のこの解釈である。
これらに理由をつけるため私は唯一力があったのは曰く付きスポットだけであるという妄想をした。

この妄想の穴

自分でも咀嚼しきれていない要素を箇条書きにしていく

  1. 火事の報道が不確かな理由

  2. 矢代の行方不明

  3. 番組にホームビデオを送ったのは誰か

  4. 良樹母の謎の行動力

  5. 良樹母の「絶対に放送してくださいね」の意味

5に関しては良樹母が明正が犯人であると考えた結果20年前と同じ様にテレビ番組を用いた謝罪要求だったのかなと思います

最後に

「謝罪」がテーマの作品でしたが私の趣味で「儀式」にすり替えて解釈してしまいました。番組の作り通りに犯人を決め良樹母による謝罪要求の番組として見るには先程挙げたセリフが強すぎてこんな記事になってしまいました。

ここまで全て書き殴った私の妄言です。
このnoteもまた自分の妄想を誰かに理解してほしいという願いの儀式だったと思います。
読んでいただいてありがとうございます。




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