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恩師の存在

初めて出会ったのは2010年の3000人の吹奏楽・合同演奏の練習でした。

 

当時中学3年生・所属する吹奏楽部は年間本番回数も少なく

コンクールの成績も不振なクラブでした。

インターネットで見つけた「3000人の吹奏楽」合同合奏の案内。

一緒に練習する学校は小学校の時にテレビで見て、吹奏楽部に入るきっかけとなった学校。

「金賞を取る学校ってどんな学校なんだろう?」と興味を持ち、エントリーしました。

 

当日アテンドしてくれる先輩方はとても優しい方々で、皆とんでもなく上手で

めちゃくちゃカッコよくキラキラして見えました。

合奏が始まり、先生がタクトを振った瞬間、今までに味わったことない高揚感

音の密着度にびっくりして、私はがむしゃらについていきます。

「こんにちは!今日は参加いただきありがとうございます」

先生は私たち参加者にとてもにこやかに話しかけてくれます。

合奏中の指導も、学生とのやりとり、すべてアサーティブに進みます。

それまで合奏嫌いだった私ですが、先生の合奏に、先輩方の音楽に完全魅了されました。

 

「私、淀工行きたいねん。淀工で星組(レギュラーメンバー)になる。
卒業したら大学は行かずに就職するから、迷惑かけるけど行かせてほしい。」

この言葉が人生を変えるきっかけになるとは思わなかったですね。

 

3年間、私は一軍と二軍の狭間にいました。

けれど、先生は一軍メンバーと遜色ないくらい、本番に立たせてくれました。

楽器を吹かず、歌う・踊るだけの本番も多かったですが(笑)

色々模索して私の居場所を探してくれてたんかな?とも思います。

 

高3、家族・メンバーとの関係でメンタルが良くない状況で、ある日突発性難聴を患います

「先生、右耳が聞こえないんです」

「なんでもっと早く言わんねん。とにかく今は病院行って休め」

いち早く対応できたから、あの日無理をしなかったから

私の右耳は今聞こえてるんだと思います。

 

ある日の合奏ノートに

「色々気になるけど私が言っても受け入れられないのが辛い」という一文を書きました。

その返事はむにゃむにゃ~とした字で書かれていて聞きに行くと

「あんたは気が多い。気が多いから演奏に集中できへんのや。でも俺もそうやねん。わかるわ。」

その時、気が多いことは悪いことなんだ…。と悩みましたが

今考えてみると、先生は私が特性持ちであることを見抜いていたんだなと感じます。

20歳超えて、特性持ちであることが発覚した時にハッとさせられました。

気が付いてくれてありがとう、そう伝えられなかったことを後悔しています。

 

先生が教えてくれた、仕事観、音楽観。

大切にしたいからこれからも続けていきます。

また、3年間とても大変でしたが、今は自慢できる経歴の1つですし

自分の中の強みであると感じています。

 

ここ数日ずっと落ち込んでいました。

色んな人と話すことにより、グリーフケアとの出会いもありまして

「とにかくこのままでいいんだ」と思えました。

これからもきっと、悲しみが押し寄せる日もあると思います。

それを「ままに」受け入れて「ままに」過ごしますね。

 

先生が教えてくれたことと、思い出とともに。

 

本当にありがとうございました。

 

 

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