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57歳米留学・就職・永住権取得記(8) 年の差40歳ってどうよ?

級友との年齢差は、40歳でも問題なし。

 溌溂とした若者が笑いさざめく教室に、一人だけ高齢者が混じっている…。
 この人、保護者?

 傍から見たら、こういう風に思われているかもしれない。だって私は今65歳だし、8年前にコミカレに入学したときだって57歳だったからね。
 しかし、他人からはどう見えていたとしても、私自身には全く違和感がない。元高校教師だから、若者集団には慣れており、若者に混じって勉強していても、自分が年を取っているという感覚が全くないのだ。

 たとえば、「金髪の草原」(1999年)という映画をご存じだろうか。大島弓子の漫画が原作の日本映画である。自分を20歳だと思い込んでいる80歳の日暮里老人が、毎日家にやってくる家事ヘルパー、なりす(女子学生)に恋をする物語。日暮里の視点で語られるので、画面に出てくる彼は、終始20歳の美青年(演じるのは伊勢谷友介)だ。だから観客も、彼が実は老人だったとは、ある時点まで全く気づかず、ずっと騙されたまま物語は進んでいく。しかし、ヘルパーなりす(池脇千鶴)の視点から見れば、日暮里はただのボケ老人。20歳と思い込んでいる彼の行動は、妄想でしかない。

 実は私も「日暮里」老人? という見方もないわけではない。

 しかし、である。
 私の学生生活の場合、ほぼ「老人」問題はない。周囲の学生も私には自然に対応してくれ、年齢差を感じることは、全くと言っていいほどないのである。少なくとも、私にはそう思われる。
 日本の大学とは違い、アメリカの大学生の年齢層は、ある程度広いこともあると思う。実際、今私が教えている「日本文学」の授業(大学1~4年生向け)には、50代~60代の生徒が二人いる。私は修士課程だが、博士課程に至っては40代はざらであり、10年以上博士をやっている人も全く珍しくない。学びたいと思ったら、何歳でも遅くはないということである。

 級友とは一緒に勉強したり、ご飯を食べたりすることが頻繁にある。去年は学生寮に一年間住んでいたので、特に交流の機会が多かった。大学野球チームの試合観戦やバーベキューパーティ。また、1年半前からは「ダンベルクラブ」と称して、週一、大学のジムで一緒に筋トレをする友人もいる。
 コミカレ時代は、20代の学生たちと集団で、結構頻繁に町をぶらついたものだ。食堂に行った後ゲームセンターに行ったり、アイスホッケーを観たりした。今更思えば、なんで母親より年上の私を誘ってくれたの?と思ってしまうが、それが留学の面白さかもしれない。ひょっとすると、彼らは私が20代だと思っていたのかもしれない。あり得ないけど。

  ところで、60代が若者と交流する利点は、大きく分けて2点ある。まずは、何と言ってもテクノロジー関係を教えてもらえることだろう。これは大きい。
 年も年だが、私は本当にITに疎い。例えば「デフォルトのブラウザは何ですか」とか聞かれても、途方に暮れてしてしまう質だ。でも、若者なら楽勝だ。大概のことは聞けば答えてくれるし、協力してくれる。だから、若者の知識を利用して、自分がどんどんテクノロジーを身に着けていけばいいのである。現代の大学生活は、宿題提出はもちろん、授業料の支払い、履修登録、はては教授との会話も全てオンラインなので、テクノロジーが出来ないと学生生活はできない。四の五の言っている暇は皆目ないということである。
 2点目は、「恋バナ」である。これも参考になる。
 私はバツイチ。離婚後、自ら「婚活党」を立ち上げ、数年に渡って相当な回数の合コンを主催してきたのだが、結局は再婚できずにここまで来てしまった。今となっては再婚もどうかと思うが、まあ、それはそれとして、若者の恋愛事情を聞くと、「おお! それってアリなのかッ」的に参考になるし、相談にも乗ってくれる。デートアプリも教えてもらったし、それ用の私の写真も撮ってくれた。

 私には至極あたりまえである「年の差40」状態。これは、自分の不利ではなくて、有利なのだということである。しかも、公私ともにね。
 シニア留学には興味があるが、この点に不安がある、と言う方もいると思い、書き留めておく。
 全然大丈夫。年齢を重ねていること、それはあなたの「強み」です。

 


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