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あのひとなら?

年を取るとなみだもろくなるとはよくきく、じっさいそうで。
おじいちゃんがまごといっしょにいるだとか、他人の大切な人が死んでしまっただとか、そんなことをみるたびになけてしまう。

ふしぎなのが日常ではなけないのに、というところ。
にちじょうをあきらめているからかもしれない、や、あきらめていないな、にげているだけだ。
向き合う勇気がないからにげている。それだけなのだ。

かんにんぐなんてしない、おちこぼれてたけど。
ときいて、びっくりした。

理由をきくと、試験とかでもできないといみがないから。らしい。

衝撃だった、と、同時にその場しのぎ、取り繕えたらと短絡的な目標しかもっていなかったことに気がつく。

あぁ、みんなもっといみをかんがえているんだと。
たぶんこれをみてびっくりするひともいるだろう。
いみをかんがえてうごかないと、それがあたりまえだと。

でもこんなやつもいる。その場しのぎで取り繕えたらいいだとか、カンニングでいっときいい点をとれたらいいだとか、いみもかんがえていないからそのばそのばで取り繕うような行動しか選べないんだな。

みんななんのために、どうするためにを考えてうごくのがたぶんあたりまえなんだな。

じぶんもあたりまえにできるひとでありたいよ。
そうなるためにはどうすればいいだろう。

ああ、そうだ。
まねをすればいい。
こんなときあのひとならどうするか?
こんなこというだろうか?と、いつだってそうやっていく道をえらべたらいい。

こんな自分でいるのがもういやなんだ。
いまからかえていこう。

あのひとなら?

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