10年前の「5.15」
なんと。
調べ物があって、思いがけず
以前の自分のblogにぶち当たりました。なんとも言えない気恥ずかしさに撃沈…
本当は別の件について捜索していたのですが、10年前も、私は沖縄県の「復帰40周年」について文章を書いていたのだ…と驚いてしまいました。
今年は50周年。
読んでみると、願っていた状況は10年経ってもあまり変わっていないのだな…と暗い気持ちに。
その時の私に、何も新しい報告ができなくて切なくなりました。
※しかも事態は更に悪くなっています
(コピーを貼りました。恥ずかしすぎてリンク丸ごとは貼れません…)
少なくとも今の私よりは希望を乗せて燃えている10年前の私。。
ごめんね。
そう呟いて涙が込み上げる。
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“5.15~南の島より~沖縄返還40年”
2012年05月15日(火) 23時50分14秒
テーマ:つぶやき
🍀40年前の5/15、米軍統治下にあった沖縄が日本本土へ復帰しました。
…琉球王国という独立国だった沖縄が、その立地を生かして交易国として歴史を紡いでゆくはずが…利潤を当て込み、その時々によって、色んな国が手中におさめようとやってくる繰り返し…それは現在も同じ性質で続いているような気がしています。
*避けられない問題なので少し言及しますが、基地に関して。沖縄の人々の共通認識は、なにも日本のどこかへ基地を同じ分移せと言っているのではありません。(この苦しみを充分知っているのですから、誰かへ押しつけようとは思っていない…だからこそ辺野古へも反対なのです。)
戦争で合意なく摂取された土地を、せっかく戦争が終わったのだから元に戻したいだけなのです。まさしく「返還」=アメリカに返して、ゼロにしたい。そして不発弾を除去し、未だ眠る日本人やアメリカ人含め全ての遺骨を収拾し、その後の訓練・作戦で汚染された跡地をきれいにしたい。ずっとドサクサで在り続けた武装地帯を、いったん本来の先祖からの土地に戻したいだけなのです。
沖縄はどこも恨んでいません。ただ「忘れてはならない」と親から子・子から孫へと、受け継いでいるだけの、ささやかな民族なのです。
🍀“沖縄への提言”
…もう1部始まってはいますが、とにかく産業や真の経済的自立のために、人材(教育=育成=起業力)こそが全てだと思います。具体的に以下の実現を私は望みます。
①これからは最低でも完璧なトライリンガル(方言、標準語、英語)教育を根づかせ、独自文化と本土、ひいてはアメリカや世界と直接交渉できる場にする。そして経験を積み、将来「世界の難しい外交交渉テーブルにはOKINAWANが同席すれば上手くゆく」と言われるレベルまでの人材宝庫県にしたい。人なつこい性格だからきっと活きるはず。
②沖縄県全域に鉄道を。多額の交付金や出資はこれが一番役に立つと考えます。高齢になっても移動が可能、観光客も流通も絶対に助かります。飲酒運転や事故も減らせます。ぜひ!!
③自然エネルギーの実証実験地として活用できる土地になる。(もうすぐ世界中の科学者をあつめた、沖縄の地場産業を生み出す目的から国際的“大学院大学OIST”が開校します。農業&水産業&工業の粋を集めた拠点に!)
🍀敗戦後20年余+日本復帰後40年…テロも起こさず、恨み節で責めず。
次こそはと民主主義を信じ続け、
抗議してきた“粘り”を誇りたいです。
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10年後はどうなっているのだろう。
なんだか怖い。
希望は失っていないけれど、取り戻せないものも増えた。
夜のしじまに、涙を折り込む。