手帳が続かない話
手帳を続けられない。毎年1月4日付近で必ず私の手帳は止まる。
それなのに毎年買ってしまう。もういい加減気づいている、自分が続けられない側の人間であることを。
それでも手帳を続けることへの憧れが止まらない。
私が学生だった頃、さまざまな色のペンを使い、シールを駆使し、綺麗な手帳を作り上げる同級生等がいた。
予定だけじゃなくて日記を書いてみたり、絵を描いてみたり。
字も絵も決してうまくなくても、そんなことは大した問題ではない。
年末にはそれぞれ個性のある、実に読み応えのある手帳が出来上がっていた。
そんな同級生を見てるうちに、私は手帳づくりに憧れを持つようになった。
憧れの手帳、といって個人的に思いつくのは、ほぼ日手帳だ。
みなさんはほぼ日手帳の実例を見たことがあるだろうか。
イイ!実に!イイ!
手帳とは一冊の芸術作品だとも思う。
私もこんな手帳を作りたい!と思って新品のほぼ日手帳と、ほぼ日手帳の使い方、のような本、そしてほぼ日手帳で裏に滲まないと噂の万年筆を買った。
ワクワクしながら1月1日を待ち、年が明けると同時に書き込む。
本当に裏に滲まない!これなら明日も余裕で色々かけるな、なーんて調子に乗って絵なんかも書いたりする。
しかし1月2日には書くのを忘れ、1月4日にまとめて1月2日と3日、4日の出来事を書き、1月5日以降、手帳は更新されない。これが毎年続く。
毎年続いてるのだからもう諦めればイイのに、同じことを続けてしまう。
もう辞めたらいい、そう思うのに自分の憧れの人物像が「毎日手帳を更新する人」なのだ。
ああなりたい、私はあっち側に行きたい。
しかし無理なのである。
私は手帳が続かないタイプの人類なのだ。
毎日Xを開いて「今日のご飯は秋刀魚の塩焼き!」とか呟けるのに、手帳は続かない。
毎日書かなきゃ、みたいなのがダメなのか?と思って今度はクロッキー帳を持ち歩くようにした。これなら日にちの縛りがないので、思いついた時に使えばいい。
街を出歩いてちょっとしたことをスケッチする、次の同人誌ネタを考えてメモを取る、素敵じゃないか…
しかし、それもやらないのだ。
そもそも全然クロッキー帳を開かない。食べたご飯屋のメモすら残さない。
Googleマップのレビューには「美味しかった!」と残すのに…自分にがっかりだ。
そうはいっても、仕事は別だ。顧客と話したこと、上司と話したこと、会社では日々、大量のメモを取っている。
もちろん、無地のノートも持ち歩いている。
ならば仕事のノートはいい感じに出来上がっていてもいいだろう。
残念ながら、そんなものが出来上がった試しはない。
メモする先がなぜか、印刷を失敗したコピー用紙の裏だったり、パソコンのメモ帳だったりするのだ。
そしてコピー用紙はさっさと捨てたいので、必要な事項だけパソコンのメモに書き写し、クラウド化している。
しかも割とこまめにクラウドに上げている。
なんでそれができるのにアナログなノートが使えないのか、もう自分でもわけがわからない。
どうすれば私は手帳が書けて、出先でクロッキーしたりする側の人類になれるのだろうか。
憧れ初めてもう二桁年は経っている。そろそろ諦めた方がいいこともわかっている。
それでもそちら側の人類になることは諦めきれていないので、今日も私のカバンには、白紙のクロッキー帳が入っている。