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深く、更に静か《続》
ドトール、とロゴの入ったカップをソーサーに戻したところで、お目当ての女は現れた。
軽く手を挙げるとこちらに気づき、不愉快そうに眉間に皺を寄せる。
「……鈴木、さん?」
「ご足労いただきまして」
向かい側の席を掌で勧めると、女はため息をつき、嫌々という態度を露骨に、腰を下ろした。
「コーヒーでいいですか」
黙って頷くのを確認して、鈴木はもう一度カウンターに向かう。
戻ってくると、女は微動だにせずに壁を睨みつけていた。
「ご足労いただきまして、ありがとうございます」
もう一度言うと、熱いカップを女の前に置いた。
アポイントを取る電話で、「一人暮らしの部屋に見ず知らずの男の人をあげるわけないじゃないですか」と呆れた声を投げつけたこの女。
まぁ、正しい警戒だよなと、鈴木はむしろ好ましく思った。
繁華街の駅前の(自宅近くも職場近くも断られた)ドトールで待ち合わせると、すっぽかされるかと思っていたのに、内海詩絵は5分前にやってきた。
ありがたいことに、付近に他の客はいない。
「電話で軽くお話しましたが、ご家族の依頼で篠崎時乃さんを探しています」
カップに口をつける詩絵は、少しだけ上目遣いに鈴木を見た。
「……成人の失踪は、事件性がないと警察は探してくれないって聞いたことあります」
カチャリと、ソーサーが鳴った。
「はい。篠崎さんは今月2日。居なくなる直前、大田慎也さんと、あなたの話をしました」
鈴木の言葉に、詩絵はゆっくりと目を閉じた。
「わかってます」
月の頭から、篠崎時乃という29歳の女の行方がわからなくなった。
直前に、同僚で婚約者でもある大田慎也の浮気が発覚し、大喧嘩をしている。
突発的な家出だろうと、誰もが高を括っていた。
一日二日で戻ると、誰もが思っていた。
大田の浮気相手が、今目の前にいる、内海詩絵。
市内の薬局に勤めている。
大田とは、知人の結婚式で1年前に知り合う。
大田と時乃は付き合ってはいたが、まだ婚約をしていない時期だ。
鈴木が働く興信所が掴んでいる情報は、ここまでとなる。
人の記憶など曖昧で、一人暮らしの人間の足取りなど、なかなか追えない。
「……、彼女からは」
詩絵は、時乃の名を言おうして、彼女と言い換えた。
わからなくもないな、と鈴木は思った。
「彼女からは、電話が来ました。しん……大田さんと連絡つかなくなって、おかしいなって思ってて、知らない番号から着信があった時に、彼が番号変えたのかなって思って出たんです」
普段は、知らない番号には出ないのだろう。プライベートなら、鈴木もそうする。
「私、彼が婚約者……恋人いるなんて思ってもみなくて」
詩絵は、鈴木の後ろの壁に視線を向けた。
「二股かけられてるなんて、疑いもしなかった」
詩絵は、大田と同い年の32歳。結婚も視野に入れた交際だと、信じていただろう。
今日までの数日を泣き暮らしたかもしれない。
鈴木は少し、同情した。
「篠崎さんとは、どんな話を」
「返してって言われたわ」
詩絵は、鈴木に視線を戻した。
「あなたは、何と?」
「二股クソ男なんて、もう要らないわって」
詩絵は、笑った。
「……そんな、乱暴な言葉じゃないけど。あの時もう私、一気に冷めてしまって。嫌なんです。私だけの人じゃないと」
中学生みたいなこと言ってますよねと呟き、詩絵はコーヒーを口に運んだ。
本気なのか強がりなのかは、鈴木には判断つかなかった。
不愉快なので、着信履歴も全て消してしまった。
時乃のも、大田のものも。
当然と言えば、当然だろう。
人によってはスマホ自体を買い替えたいくらいの怒涛の一ヶ月だったはずだ。
詩絵を見送り、鈴木は2人分のカップを返して、店を出た。
せっかく、快く「二股クソ男を譲ってもらった」のに、時乃はどこへ消えたのか。
詩絵の言う通り、大田と詩絵はその後接触していない。
浮気がバレた時点で、大田は詩絵の連絡先をスマホから消去させられている。
浮気がショックだったとしても、時乃はわざわざ男を取り返しに、相手と連絡まで取った。
奪い返せたのに、何故自分が姿を消したのか。
首をひねってポキリと鳴らすと、鈴木は頭を掻いた。
事務所に報告しに戻らなければ。
![](https://assets.st-note.com/img/1729943879-DYtix29BvGy1FfSjdm6Ea3zN.png)
詩絵は、自分の部屋が好きだ。
好きなものしかない、この空間を愛している。
つい先月までは、愛し合っている(と思っていた)男が、遊びに来た。
泊まっていく夜もあった。
早く、その記憶を全て換気してしまいたい。
この部屋には、自分の好きなものだけ、あればいい。
自分一人のもの。全部。全部。
あたしの帰りを待つ、あたしだけのもの。
詩絵は、クローゼットをゆっくりと開いた。
扉の風で、中央に吊るした白いスカートが、ゆらりと動いた。
ロングスカートの裾が、黒のスーツケースを擦る。
ずっと、あたしだけのもの。
一人ぼっちは怖い。
でも、あたしだけじゃないものは、要らないの。
あの男は、もう要らない。
「差し上げるわ、お古で良ければ」
その代わりに。
詩絵は、スーツケースを撫でた。
あたしの帰りを待つ、あたしだけの部屋。
あたしだけのものがあるから、淋しくないわ。
黒いスーツケースが、詩絵の指の下で沈黙する。
代わりにあなたは、ずっとあたしのもの。
傍に居てね。
↓はじまりは、こちら。
☆ヘッダー写真、お借りしました。ありがとうございます。