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マシュマロを投げる

昨年末ようやく、いい歳をしてSNSの世界に足を踏み入れた。
YouTube、noteと駒を進め、ついに年明けにXアカウントを作った。
まだ一度も呟いたことはない。
世間を見る用である。

推しが配信をする時、
「マシュマロで質問受付中!」と予告することがある。
また新しいワードだ。
マシュマロとはなんぞ??

「悪口を排除するフィルター」があるSNSコンテンツだそうな。
受け取り側は卑猥な発言や暴言を浴びなくて済む。いいシステムだと思う。

しかし、悪気なく投げたメッセージを、相手が甘いお菓子と取るか石礫と受け取るか。難しいラインだと思う。
現実世界での、面と向かったやりとりですら、誤解は発生する。
故にまだ、自分はXの発信ができないでいる。

酒の勢いで、人様にやたらといいね♡をつけてみる日がある。
後で、知らんヤツからされてどう思われたか……と不安になる。
読んでね!のnoteと、そもそも違うのだ。


ここにあげる言葉は、短くて1日、長ければ数週間、推敲している(素面の場合)。
それでも誰かを傷つけないか、間違いを載せていないか不安である。
思いつきを瞬時に呟く勇気がまだない。後から訂正や削除ができるとしても、だ。

悪意のある石礫も、マシュマロはなかったことにしてしまうのだろうか。
投げた石が誰も傷つけないと誤解して、どこかの硝子を割るまで投げ続ける輩はいないだろうか。

十字架を運ぶイエス・キリストを見て、早く行けと詰ったカルタフィルスは、永遠に彷徨う運命になったという。
デジタルタトゥーという言葉も覚えた。
匿名の発信に、未だに怯える自分がいる。



その一方で、推しへの愛を叫ばずにいられなかったり、好きな本を誰かと共有したいとも思ってしまう。

そして、SNS怖いと言った舌の根も乾かぬうちに、職場の愚痴をnoteに発信するのである。

部長のおばかちーん。ぷんすかぷん。

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