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仕舞い

お気に入りのスーパーが閉店してしまう、というエッセイを読んだ。

お会いしたことのない当方が、とてもお気に入りのお店だったのだろうなぁとしみじみするほど、想いが文章の端々に滲んでいた。



十年ばかり前、勤めていたコンビニが閉店した。
本部直営店であり、新しくお店を始めるオーナーさんたちが店舗体験や訓練に使うトレーニングストアでもあったので、まさか閉店するとは夢にも思っていなかった。

娘芋を幼稚園に入れた数カ月後、急に相方芋の給料がカットされた。
園の真裏にあるコンビニに、後先も考えずに履歴書を出した。
買い物にも一度も来たことがなかったが、運良く採用してもらえた。
それまであまりコンビニを使う機会がなく、レジでカップラーメンをピッてすれば良いのだろう?と安易に考えていたのに、作業の多さと忙しさに、初日で激しく後悔した。

優しい先輩も居れば、厳しい人も居た。
こんなこともわからないのかと言われ、帰ってから泣いた。
後に、厳しい言葉の方が、よほど仕事の本質を教えてくれていたと気がついた。
いつのまにか後輩の方が多くなり、シフトリーダーと呼ばれ、教える立場になっていた。
7年が経っていた。

閉店が周知されると、近隣のオーナーさんたちが従業員を引き抜きに来た。
どこも、居心地の良いこの店より魅力だとは思えなかった。
複数店舗を経営する会社から、新しい店の店長を、との話も頂いたが、小学生を抱えて正社員はまだ無理ですとお断りした。
結局迷いながらも、同じ制服に袖を通すことはなかった。

撤去を待つ
がらーん
すぐに解体が始まった


「仕舞う」の語源は、お能やお茶、仏教など諸説あるようだが、いずれも「あるべきものを綺麗にし、新しいものを迎える支度をする」ような意味合いらしい。

当方は、きちんとあの店を仕舞えただろうか。

あの頃の接客が、試行錯誤したあの売り場が、今も誰かに思い出されたりしているだろうか。
彼女が大切に、「仕舞う」のを見守ったスーパーのように。
当方以外の、誰かに。





あの店で、店長よりも厳しく指導してくれた男のことは一生根に持ってやると決めていたのだが、
何故か今では、根本凪の曲を聴きながらラーメンを食べに行く仲になっている。
世の中、どう転がるかわからないものである。

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