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誰かの歌が降り積もる

昔のことは、あまり覚えていない。
幼少期、1人で過ごす時間も長かったし、厳しく躾けられた。思春期には、家庭内が機能不全を起こしていて、逃げ出すように親元を離れた。

愛されていなかったとは、思っていない。
むしろ、大事にされてきたと思う。
それでも、満ちてはいなかったのか、それとも厳しい躾けに応えて、期待通りの娘で居ようと、頑張りすぎてしまったのか、私と両親の関係は、あまり良いものではなかった。

長い間、距離感を計りかねるような関係を続けている。(多分、今も継続的に計測中

毎朝、保育園の連絡帳に記入するため、娘達の体温を測る。
じっとしていられない娘達を大人しくさせるため、私は歌を歌う。
「かえるの歌」だったり「メダカの学校」だったり「チューリップ」だったり、適当に思いつくまま、あるいはリクエストに応じて。

膝に乗せて、ゆっくりと娘の身体を揺すりながら、朝の穏やかなイチャイチャタイムを満喫する。
「もしもし亀よ、亀さんよ、世界の内でお前ほど…」
「庭の畑でポチが鳴く」
「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけたきびだんご」
「ひよこがね、お庭でピョコピョコ隠れんぼ」
「ありさんとありさんがごっつんこ」
「白ヤギさんからお手紙ついた」
「お山に雨が降りました、あとからあとから降ってきて」

そうして、ふと気づいた。
私は、一体、いつ、こんなに沢山の童謡やわらべ歌を仕入れたのか。
どうして、私は当たり前のように、一番だけに限らず、二番も三番も歌詞を間違えずに歌えるのか。

YOUTUBEも無い時代。
誰かが、私に歌って聞かせてくれていたのだ、と信じたい。(もしかしたら「歌のお姉さん」のお陰かもだけど)

沢山の童謡やわらべ歌、絵本や児童書や紙芝居。
そうだ。幼い頃、よく母と図書館へ行って、紙芝居を借りてきていた。母が紙芝居を読んでくれるのではなくて、私が1人で紙芝居を読んでいた記憶がある。観客が誰も居なくても、それが楽しかった。

親か、祖父母か、テレビか、カセットテープか、幼稚園か、何者かは分からないけれど、幼き日の私のために歌ってくれた歌や、読み聞かせてくれた絵本が、私の中には沢山降り積もっている。二番も三番も歌詞を覚えるほどに、何度も何度も歌い聞かせてくれた日々が、しんしんと積もっている。

いつか、娘達が母になったら。
自分の子をおんぶしながら、私が歌ったこの歌を、静かに優しく口ずさむのだろうか。

膝の上で「めだかのがっこうはー、みーずにながれてすーいすい、みーずにながれてすーいすい」と謎の歌詞間違いをしたまま歌う娘の髪を結いながら、思いを馳せる金曜の朝。

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