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天気曇天なれども波高し(マイ・ミュータント・デイズ 脱出編 冒頭)


「蛇行ちゃん、ちょっとドライブ行こうか?」とナイスさんは言った。
 目的地は俺の未踏の地であり、何があるかもよく分からないOO県である。その日のうちに大急ぎで数日分の衣類と作業着と工具を満載した現場作業車は走り出した。正直に言うと、俺とネズミは何らかの不条理な理由で豊後水道に沈められるのではないかと本当に恐れていた。散々色々な目に遭ってきたが、何しろ不条理に限界はないのだ。
 ビクビクしなが乗船し、甲板で強い潮風に吹かれながら煙草を10本くらい吸ったが、我々は海を渡りみかん県へと降り立った。つまり俺はまだ生きていた。みかん県に降り立って最寄りのコンビニで軽食を買い、その後数時間走り続けたが、コンビニもガソリンスタンドもほとんどなく、どこまでもいまいち生活感のない、人の気配がない映画のセットのような景色が続いていた。途中メロディロードと呼ばれる、おそらくはレコードの溝と針と同じような仕組みでタイヤから何かの曲が聞こえてきた。だが直線道路というわけでもない道なので、BPMは安定せず不安になるような歌に聞こえた。狂い咲きオレンジロードかよ。単に俺が不安に苛まれていただけかもしれないが。プロボックスは爆走し夜の瀬戸大橋を抜け夜のOO県へと到着した。時間は午後11時くらいになり、ホテルにチェックインして気絶するまでまだ死人がいなかった。サメさんたちには「明日めっちゃ大事だから飲むなよ」と言われていたが、俺はアル中だ。しかもただ船と車に乗っていただけなのに精神的な疲労がすごかった。もちろん近所のコンビニで酒を買いガブ飲みした。もちろん翌朝トイレで便器に膝まづいて懺悔した。

 おそらくは本来であればこうあるべきなのだろう。警備員もいて監視カメラもある。現場入場に際してみんなで会議室に集められ、場内のルールや禁則事項(現場内は重ダンプ最優先、合流地点では一時停車、車を停める際は車輪止めを噛ませるなどなど)などをレクチャーされ、現場で実際に組み方の講習を受ける。何だかすごくまともな現場に来たような気がするぞ?だがここでも何も起きないわけはない。今度は陰謀とストラテジーに振り回される日々が始まる。

 我々の新居は築100年以上というTHEの付くレベルの古民家で、俺は生まれて初めて土間がある家で寝起きすることとなった。部屋は何部屋あっただろう?2階建てにも関わらず2階には立入禁止の部屋しかなく、1階にも開かずの間がいくつかあった。そしてどういう経緯かは分からないが、別働隊の主に重機のオペをやっている人たちもここで寝起きするようになった。かなり大きい家ではあるが、20人以上は明らかに許容量を超えている。それも数日で入れ替わることもあるため、確認するためには扉を開けなければ誰がどこで寝起きしているのかも分からないのだ。おいおい、俺はこんな陰気なモグラ叩きをしにきたわけじゃないんだ。

 ちなみにヤハ上さんは性能がブッ壊れており、飛行機の操縦を教官に英語で指導することができるらしい。「いつか「ニュース英語は堅苦しくてよく分からんのよ。映画やドラマだったら字幕なしでも全部拾えるのに」とおっしゃっていた。
 俺にはとても理解できない日々の始まりである。O県からはアサさん、モノ君、クロ君などが来ており、それ以外にも各地から助っ人やオペの資格持ちの人たちが集結していた。俺はその頃だいぶ頭のネジが飛んでおり、現場から帰ると「早くママのオッパイが吸いたいぜクソッタレが!」と酒を飲みながらのたまっていたようだ。当時彼らにしきりに「蛇行君バーテンとかホストとかやったらいいよ」と薦められたのを覚えている。冗談ではない。俺に誰かも分からないようなやつのオッパイをしゃぶれというのか?

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