さくら、さくら
あなたは初めて桜が舞い散るのを見た時のことを覚えているか?
その時あなたは5歳だか6歳だかあるいはそれ以下だったかもしれない。でも俺が初めて「桜」と呼ばれる木を見たのは19歳になってからだった。ここでは緋寒桜というほとんどショッキングピンクと言えるような派手な色の桜が1月から2月初旬にかけて咲き、人によっては桜の下でバーベキューをしたりする。だから俺はいわゆる日本的な桜、ソメイヨシノにものすごく憧れていた。
だから初めてソメイヨシノが咲く春を迎えた時のことは絶対に忘れない。こんなに儚く美しい花が本当に咲いている。多くの人には常識的な四季の一部で、「ああ、咲いたか」くらいの感覚かもしれない。
でも俺は泣きそうになるほど感動した。たぶん俺が見てきたものの中では故郷の海と双璧を成すくらい美しかった。確かワシントンDCには日本から贈られたソメイヨシノが植樹されているはずだ。俺の意識はワシントンDCへ飛ぶ。かの偉大なるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師はソメイヨシノを見たのだろうか?見たとしてどう思ったのだろう?ボブ・ディランとアレン・ギンズバーグのように我々は一緒に歩いている。架空のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアはしょうもない冗談を言って俺を笑わせてくれる。彼が殺害される前に賛美歌の何番だかをとても強く歌うように言っていたことについて尋ねたくなる気持ちを抑える。我々はワシントンDCの桜並木の下を歩いている。誰も望んでいないのにやってくる悲惨な未来について何かいい案はないかと考えながら。彼の死後、彼が相当破天荒な人物で乱交パーティをしていただとか個人的には超どうでもいい事実がいくつか明らかになったが、それは彼の成した偉業を損なうのに十分ではない。彼がやったことはマルコムXと対立もしたが、方法が違っただけで目指す地点は同じだったと思う。マルコムが向こうからやってくる。とても素敵な笑顔で。俺たちは地球上に人類が解決できない問題など何もないかのように振る舞い地球的な規模の問題を見ないようにする。餅は餅屋だ。専門家やクソみたいなロビイストが喧々諤々の論戦をしているのを眺めていればいい。ソメイヨシノの美しさに比べれば微々たることだ。誰が好き好んで醜い争いを見ようとする?
俺が桜を見る時に考えているのはそういう妄想だったりする。