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空を取り戻した日の話

 確か今年2月初旬からだ。俺がボランティアに行っていたのは。俺は9月初旬に故郷へどうにかこうにか生きて帰ってきた。ヤマトの沖田艦長の言っていた言葉が全て理解できたような気がした。

「何もかもみな懐かしい」


 あの日はよく晴れていて、俺は空港を出た時にやっと帰ってこられたんだと思い、それから約1時間ほどの間自宅へ向かうバスに揺られながら、全てに見覚えがある景色を眺めていた。家に着くと俺は自宅の玄関に倒れ込み、短い間眠っていたような気がする。たぶん俺の顔を見た時の母親は泣いていた。無理もない。高校時代を最後に全くスポーツをしなくなり、休日はほとんど家から出ないようになった馬鹿が、自分でも驚くほどに真っ黒に日に焼かれ、髪も髭も伸び放題のロビンソン・クルーソーのような姿になって帰還し、自力ではまともに起き上がることもできずに玄関に転がっているのだから。もしかしたら、俺が帰還したことよりも俺の醜態に呆れ果てていたのかもしれないが。

 しばらくしてから起き上がり、荷物を部屋に上げた。自室に戻ってきたが、最初は誰の部屋なのか分からなかった。全ては整理整頓され、枕元にはただの1冊も本も漫画も積まれておらず、CDとDVDの塔もなく、「遺品整理をされた故人の部屋はこんな風だろうか?」と思うほど人間の生活の気配がなかった。あるいは母親は俺の「無言の帰宅」まで覚悟していたのか?と思ってしまうほどだった。

 台所はいつも通りきれいで、鍋がコンロに載っていた。蓋を開ける、中に入っていたのは俺がこの宇宙で一番うまいものだと思っている母親お手製の郷土料理だった。俺はひとりで泣きながらその鍋を空にした。

 少し散歩でもしようかと外に出てみると、色々なものが変わっていた。見知らぬ大きな家が建ち、いつも犬を散歩させるたびに前を通っていた家は全ての扉を閉めていて、かつて会釈をしていた老婦人の姿もなくなっていた。

 コンビニへ行きチューハイを買う。イートインスペースには見るからに生意気そうな金髪の小僧がいた。「何歳だ?」と尋ねると、少し間を開けて「15歳です」と返ってきた。その時は世界の何もかもを祝福したくて仕方がなかったので「そうか。頑張れよ」とだけ答え、残りを飲み干した。

 近くの公園に行き2本目を開ける。公園には見知らぬちびっこが数名いた。単にちびっこが公園で遊んでいるだけなのに、俺は声を殺しながら落涙するしかなかった。

「俺はこの心底大嫌いな場所に、逃げ出したくて仕方がなくて、実際何度か逃げ出したところにどうにか生きて帰ってこられたんだ」と思うと、大嫌いだったはずの全ての見慣れた景色が美しくさえ見え、しばらく立ち上がることができなかった。

 その後自室に戻り寝た。前に泣いたのはいつだっただろう?と思い返すと、確かある日曜日に数km歩いてスーパーまで行きトイレで泣いた時だった。俺には様々なことがうまくできない。でも、だから今まで生き延びられたとも思う。「俺は絶対に死ぬまで死んでやらない」と誓いながら眠った。自室に戻り眠る前に母親にはちゃんと「おやすみなさい」と言った。何カ月ぶりかすら分からないが、ちゃんとまた言えた。悪くないと思った。

俺にはまだ帰れる場所があるんだ。こんなに嬉しいことはない。

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