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記事紹介:なぜ研究者は「隠したがる」のか

今日は下記の様な記事を見掛けたので紹介しておこう。

記事ではiPS細胞の山中教授と将棋の羽生九段の対談形式で生命科学分野における研究発表タイムラグの問題を提起している。

生命科学の分野では、今取り組んでいる研究が世に出るまで早くても2、3年かかってしまいます。
科学技術が日進月歩で進み、データがすぐに手に入るようになっています。しかもそれは膨大なデータです。それを発表せずに、ずっと抱え込んでいることが今、大きな問題になっています。

生命科学でも発表の方法を変えたほうがいいのではないか、リアルタイムに世に出す仕組みが必要ではないか、と考える人が少しずつ増えています。しかし、なかなか進みません。なにせ過去百年以上、僕たちはそうやって論文発表を目標に研究をしてきたわけですから。

これは実際に今の生命科学分野で起こっている事実である。私も自分の研究の中で特に重要なものは一切外に情報を出さず臨床応用直前になるまで10年近く眠らせていたものもある。記事でもこの原因について色々と触れているが、根本的な原因は上記の文に含まれている「論文発表が目標」という点である。

過去のコラムでも書いたのだが、研究は目的と方法の設定が何よりも重要である。そして、論文で研究成果を発表するというのは、本来自分の研究を世に知らせるために「方法」である筈だ。しかしながら、現在多くの研究者にとって論文発表が「目的」と化しているのである。ノーベル賞受賞者の山中教授ですら、シレっとそういう表現をするくらい認識が歪んでいるのだ。この様な目的と方法の逆転があらゆる異常事態の根本原因なのである。

この異常な状況を生み出す要因も明白である。科学における「成果主義」である。本来研究職というのは「実力主義」「能力主義」であるべき分野である。だが、不幸なことに、特に生命科学分野においては、その能力を正確に測る術が存在しない。それ故に「成果主義」に陥り、評価しやすい成果としての論文が手段から目的に変化してしまうのだ。もちろん、能力と成果に一定の相関があることは間違いないのだが、それ以上にこの歪みがもたらす弊害の大きさは問題である。

この問題の解決策や具体的な取り組みについて書き始めると終わらなくなるため、今回は記事の紹介に留めておくが、皆さんもこういう問題があるのだと認識し、その上で世の中の論文を考えてほしい。また、記事の続きに特許の関係も語られており、それについても現状のアカデミアと営利企業の関りや問題を認識してみると世の中のデータの見方も変わるだろう。

最後に余談だが、あるべき「実力主義」の最たる分野の一つは対談相手の羽生九段が生きる将棋の世界だろう。明確なルールの中で勝敗が付くため、結果の解釈があやふやになる生命科学分野とは違い、ハッキリと実力が分かる。こういう世界であれば実力主義は当然となり、それ故に「研究成果」の出し惜しみというのが無くなる。将棋の世界でも今や「研究」というのは非常に重要な要素となっており、常に最新の研究成果が実戦で用いられる。1年も経てばその研究は「古い」と言われる世界である。「実力主義」であれば、この様なリアルタイムの成果発表が当たり前になるという良い例だ。対談では特に言及されていないが、この様なある意味「対極」の要素を持つ分野が研究成果の発表に触れている記事は面白いと思った。

(参考)


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