一ヶ月でいちばん憂鬱な一週間。 20歳を過ぎて、 毎月しんどいを更新していくPMS HSPで毎日が敏感なのに容赦のないPMS 些細なことにイライラして 些細なことに涙がでる。 やる気ゼロでずっとだるい体 いろんな箇所が不調になる 全てがどうでもよくなるPMS。 パートナーには ある程度PMSについて説明し 毎月一緒に乗り越えようとしてくれる。 でも感情の起伏が激しい自分と接するのは 大変だろうなぁと申し訳なくなる。 自分が彼の立場だったら 理解したいと思いつつも 時
25歳 正社員経験なし 現在無職。 タイトルを見てなんて思われるのかなーとか いちいち気にしながら 文字を打ち込む、電車の中。 常に脳内は1人会議。 考えて、心配をして、想像をして、 不安になって、マイナス思考。 話し声、誰かのせきやくしゃみ、 笑い声、駅に響く発車音、 耳を塞ぐようにイヤホンを装着する。 音、匂い、光、天気、色んな刺激に敏感な日々。 大好きな音楽に包まれて自分の世界に入る。 あ、今日キャップ忘れた。 かぶると視界が狭くなって楽なのに。 私は25
8月末、三泊四泊の韓国旅行をした。 普段、とにかく心配性な自分。 閉じ込められた空間が苦手で 長時間の公共機関の移動は好きじゃない もしああなかったらどうしよう、 余計な心配や妄想をしすぎては 息苦しくなったり立ちくらみ。 そんな自分を変えたくて あえてリスクを伴う今、 ひとりで初めて飛行機に乗る 海外旅行を計画した。 準備段階から不安だらけで ひたすら胃痛と戦う毎日。 それでも楽しみという気持ちが 勝ってはいたが、 もしものためにと増えていく荷物。 重いスーツ
リオから5年。 待ちに待ったパラリンピックが ついに、ここ東京で始まろうとしている。 5年前、初めてパラの中継を見た時 心が動くのを感じた、きっと偶然ではなく必然に。テレビに映る選手たちがとにかく、とにかくかっこよかった。プレーはもちろん、笑顔も、涙も、汗も、義足や車いす、全部全部。テレビから目が離せなかった10代の私。 閉幕後もパラスポーツへの熱い想いは消えず、何度もリオパラのハイライトを見ては“もっと知りたい” “もっと観たい”を増やしていった。 選手たちが参加するイ
二度目がこんなに早く訪れるとは。 一度目は不登校になった時、同じ家にこもる引きこもりでも一度目と今では身体、気持ち、表情、行動、違いだらけだ。 あの頃、毎日痛かった体は 今 元気に動いているし 暗かった気持ちは、今 割と前向きだし 暗かった表情は、今 お笑いのおかげで笑顔だらけで 布団の上にいた生活は、今 ヨガや筋トレに励んでいるし 聞いてた 暗めの音楽は、今 明るい曲ばかり選曲している。 自ら選んだ引きこもりとやむを得ない引きこもり、 こんなにも違う。この 今 を幸
こんな今だから 明日人生が終わってもおかしくないのか、 なんて最近よく考える。 前回も登場したが、中学時代 島田洋七さんの 「死にたくなったら、これを読め!」を読んだ時、 初めてしっかり 生と死 と向き合った 結果、この本は人生が変わる本になった。 いつも近くにいたじいちゃんが死んだ時、 もう会えないことが死なのかと知った。 残されたほうはこんなに悲しいのに、 簡単にいなくなってしまうじいちゃんをひどいと思った。離れてこそわかる存在の大きさ、そんなの今更気づいても手遅れな
小学校高学年の時「がばいばあちゃん」に出会った。なにかのきっかけでいつからが手元にあり、いつからかハマっていた。自分の成長の横にはいつもこの本がある。がばいばあちゃんの言葉や生き方はいちばんの教科書であり、人生の先生だ。 初めに読んだのは 「佐賀のがばいばあちゃん」 どの本よりも繰り返し、開き、読んだ。まさに原点だ。それから 「がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!」 「がばいばあちゃんの幸せのトランク」 「がばいばあちゃん 佐賀から広島へめざせ甲子園」 「がばいばあちゃん
「 2019年は50冊読む 」達成。 1 十角館の殺人 2 あなたの本 3 悪夢のエレベーター 4 ボクたちはみんな大人になれなかった 5 鍵のない夢を見る 6 さようなら、私 7 ちょっと今から仕事やめてくる 8 ぼくは勉強ができない 9 ノックの音 10 悪夢の身代金 11 ぬるい毒 12 さよなら、手をつなごう 13 悪夢の商店街 14 この高鳴りを僕は青春と呼ぶ 15 スローグッバイ 16 Red 17 想像ラジオ 18 インストール 19 銀色の青 20 黒いマ
「 みんながみんな自分の人生の社長 」 トンツカタン という トリオのお笑い芸人がいる、 これは 社長 というネタ中のセリフだ。 初めて動画で見た時 とにかく笑ったのを覚えている このネタは誰も傷つけないあたたかい笑いをくれた 最初は色んな動画を見ていた中の1本だった でも時間が経つとまた見たくなる そして再生するの繰り返し いつからか定期的に見るようになっていた。 憂鬱なことがあった夜に、電車に揺られる帰り道、 時間を持て余した休日、いろんな場面で見たくなる それ
カレンダーを見ながら、母が言った。 ばあちゃんが認知症になってもう1年、 私のお金取ったでしょ!と突然パニックになったことが始まりで、どんどん変わっていくばあちゃんの姿に寂しさばかり募っていった。 前はこうだったのに、前はできていたのに、と つい出来なくなったこと 変わってしまったことばかりに目を向けてしまう けどこれって違うんじゃないか? もしかしたら、誰?と言われてしまう 日がくるのかもしれない、 考えると涙が出るほど寂しいけど ばあちゃんが変わっていっても
ばあちゃんが苦しいと言って運ばれた それを聞いて病院に向かった私 [想像] 病室の扉を勢いよく開けて ばあちゃん大丈夫!?って駆け寄る だったのに、 病院に駆け込んだ瞬間 受け付けの 椅子に小さく座っている ばあちゃん 頭の中は ??? だらけ え?ばあちゃん大丈夫なの?と駆け寄った私 [想像] 大丈夫よ心配かけてごめんねぇ なんて言うのかと思ったが、 私なんで救急車で運ばれたのか 分からないのよ、と言うばあちゃん 頭の中に ??? が増えた とりあえず
病気になり不登校を選んだ中学時代、 不登校からの退学を選んだ高校時代。 時間が解決してくれた病気は 笑顔が消えた暗い暗い青春と 手術の傷あとを残していった。 20歳を過ぎ、お笑いにハマった私。 笑えることがどれだけ幸せかを 改めて芸人さんが教えてくれた 劇場で笑い、画面を通し笑い癒される日々 あの頃失ったぶんの笑顔を、いやそれ以上の笑顔を 大好きな芸人さんたちが いま取り戻してくれている 当たり前の青春を過ごしていたら 気づけなかったこの幸せのありがたみ 病気が