新取組番外 6日間で10個新しいことに取り組んでみて

新しいことに1ヵ月で30個取り組みブログで30本書こうと言う取り組みについてのお話です。

最初の1週間で10個取り組むと目標を立ててやってみました。数が1日1個より多めなのはため込んでいたことがある分、最初はいっぱい出てくるだろうと思ったからです。

結果として1週間経たずに6日で10個着手できました。現状どんな感じかちょっと振り返っておこうと思います。

よかった点

以前より圧倒的に進んでる感があります。
今まで悩んでいた事はほとんど解消したと言っても過言ではないかもしれません。

何に取り組もうかとか、自分が本当にハマって熱量を込めれるものは何なんだろうとか、自分が足踏みしているもどかしさとか

そういったものを今は全然感じていないです。

やろうか悩んでいたことに全て着手しているので、やらないまま頭の中にずっと残っている半端な可能性の状態から、現実に体験してることに変わり、次に進めている感触が大いにあります。

やっぱりやってみたらうまくいかなかったとか、そもそもできないことだったとか、いまいちだったものとか。そういったことがわかると、あれをやろうかどうしよう?という悩みが完全に消滅します。そうなれば次に何をやるか新しいことを考えられます。

頭の中がどんどん代謝している感触で、この点はとても良い感じです。また思いもよらなかった出会いがどんどん生まれてきてます。

民泊で紹介する飲食店探しから商工会の人につながるみたいなのは全然想像していなかったです。

人が提供するAirbnbの体験プログラムを受けようとは思ってなかったですし(受けるのは明日ですが)事前メッセージの時点でこんな考えとかあるんだっていうのがちょっと見つかってます。

新しい世界がどんどん見えているので、希望がたくさん見つかってます。


良くなかった点

大量すぎて1個1個に充分取り組めてません。
加えてブログの作成も、もともとの思考を積み重ねて自分を分析するという目的に当てはめると、そこまで掘りきれてない感じがします。

またいっぱいいっぱいになってるので、自分に余裕がなくなっている感じは大いにあります。

ちょっと人と関わってて失敗してしまったということも生まれているし、自分で言ったことができてなかったりもしています。

落ち着いて考える。内省する時間が確保できてないので、頭も心も若干パンクしかかっている感じはあります。

この辺にうまく対処するためにはどうしたら良いのか?

がんばりすぎてパンクして寝込んじゃうと当然進まなくなります。考えて答えが出せないときに苦しいと思って書けないことに逃げちゃうとかも今までの癖でやるんですけど、状況が悪化します。

取捨選択と、取り組むと決めたことの中で、1番重要なポイントはどこなのかを考える必要がありそうです。

力を入れたいのはどこなのか?あるいは成長できそうなのはどこなのか?

自分自身のやりたいことだったり、得意なこと、興味あることに沿うのは何なのか?

目指すところはどこなのか?今自分は取り組みを楽しめているのか?

パンクするということは、うまく巡ってないので、詰まっている違和感を解消していく必要がありそうです。

個々の取り組みについて、正直掘り下げきれてないので、着手状態になっているもの※大半 については、後で何を感じていたのか詳しく書こうと思います。

これは違うなと感じるものもある気がするので、そうした感情も書き留めながら、分析を進めたいと思います。

ぶち当たっている問題点

人との関わりで問題が発生しているのが切実な感じがしてます。

1.相手を苦しめる関わり方

お話した相手を苦しめてしまったり、否定してしまって摩擦が生まれるというようなことが起きてます。

「自分が強くなったと錯覚した人間は他人を攻撃する。痛みに鈍感になり優しさを失う」

お話した相手から共有して貰った動画にあった言葉で、自分はこの状態になっているなと、確かにと思いました。

自分は、力をつけたいと思っている理由の結構大きな部分を占めることに、ずっと関わっている引きこもりの方と友人のグループで、望んでいるような生き方をできるようにしたいと言うのがあるんですね。

その人たちと5年位前にすごく感動するような出来事を創り出して、共有できたことがあって。その当時を振り返ると全部の弱さを受け入れるみたいなことをしてたんですよね。確かに。

相手を攻撃するとか、否定するみたいになってしまうのは確かに違うなと思いましたし、自分自身が自分の弱さとかできてない部分を受け入れられてないから、相手のそういう部分も認められないって言うブーメランなじゃないかなと感じました。

自分の弱い部分とか、情けない部分とか、そういったものはあんまり受け入れられてないし、人にも出せていないかもしれないです。

この点で大きな負担をかけてしまった方たちにはとても申し訳ないことしています。ごめんなさい。

2.上っ面?地元の人達に揉まれて

商工会や地元の人たちの輪に飛び込んでいるのですが、未知の集団に1人で飛び込んで、大勢相手にしているので、ちょっと得意な状況とは言えません。

その中で人嫌いを自称する方がいて「人は嫌いか?」と聞かれました。

「嫌いではないですが、誰かとずっと一緒にいるのは苦手で、時々会って話すくらいの関わり方がいいです」と話したら近くにいた別の方から「上っ面の関わり方だ」と返ってきました。

上っ面でない関わりと、そうでない関わりの違いは何か?
自分自身の人との関わりに問題はありそうだと言う認識は昔からなんとなくあって、

その何かに引っかかっているような感触がしています。

それは自分が心からの本音で話すと言う部分かもしれません。

本当に自分が本音で話せたなとか、あるいは人から自分の心の琴線に触れられたな、という経験は、人生の中で片手で数えられる回数だなと思います。

あるいは腹をくくって、誰かと関わり続けると決めるようなことかもしれないです。自分の都合の良いタイミングではなくて、そうでない時でも人と体験を共有するということなのかも。

いずれにしても、上っ面ではない関わり方を体感としてわかっている人と関わることで何らかのヒントが得られるんじゃないかと思います。

うまく関わらなくて、全然認めてもらえないと言ったことが起これば。それは自分の向き不向きだったり、あるいは至らなさだったりするので。

そうしたものも見つめながら、取り組んで行けたらいいなと思います。

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