4 嘘つき自伝 グレアムチャップマン
聖アルバー病院の設備や現代的な入院病棟は、おそらく部分的に見て言えばこの国一番のクオリティであると言えただろう。でも僕が送られたのはその綺麗な部分のどこでもない、よくある典型的な大きい病院といった感じの治療のための病棟だった。薄汚い廊下に、人が溢れる病室、サボってる看護師、ホガースの絵みたいな狂乱状態の入院患者、ペダルをこいで自家発電しなきゃ見れないテレビ…。
~中略~ ☆そんなこんなで病院に担ぎ込まれ、血を抜かれたり治療薬やバリウムを飲まされたりして治療らしい措置を受けたグレアムだったけど、この大きくて薄汚い、いわゆる街の大きな病院での入院は嫌だったようで、個人が経営する小さめなクリニックに移ったそうです。そこで医学部時代から知っていた先生にたまたま出会い、診てもらうことに。
「グレアム、お前アル中だよ」
「はい」
「治したいか?」
「はい」
「よし、じゃあ治療を始めよう。お前の肝臓を検査した結果、恐ろしいことに通常のキャパシティの10倍を超えるy-GTPの数値が出た。しかしラッキーなことに、取り返しのつかないようなダメージはまだ負ってない。アルコール依存症用の治療薬とバリウムの投与量を少しずつ減らしていき、少しでも酒を飲むと5日前までの酷い状態に戻る薬を毎朝晩飲んでもらう。飲むか飲まないかはお前の意思次第だ。お前の人生だからな」
~また中略~ ☆ここで治療を順調に重ね、再びシラフでグレアムらしい支離滅裂な思考を巡らせることができるレベルにまで回復。なぜ酒にハマってしまったのか、なぜ人はそんなにまでして酒を求めるのかについて、下記のようなグレアムなりの考えを書き残して、前章は幕を閉じます。
22歳の時にある一定の脳細胞を脳みそから消し去ると決めてから、ずっとアルコールをその手段として使っていた。 アルコールの過剰摂取が脳細胞の死滅を促進させるのは明らかで、麻酔同様少しの接種なら身体の働きを一時的に休止させることができる。頭の方から順番に、中枢神経に向かって。最初に脳みそに影響を与えることで、飲酒量を制御することができるようになっている。だから社会への適合性を高めるための薬として、アルコールは広く使われるようになったのだろう。アルコールは新しくできた友達に声をかけたり、古くからの友達にさよならを言う手助けをしてくれる。ここぞという時に必要なのは、脳みそにはびこる意気地なしでビビりな自分を押し込むための、一杯の酒だ。
しかしこの脳内の意気地なしを治すためには、一杯の酒、またもう一杯、さらにまたもう一杯…でも足りないということが判明した。一時的な気休めでなく、永続的なものが必要だ。僕を痛めつけてくるこの重い足枷から、永久に解放されなければ。そのために僕が自分自身に処方したのは、この邪魔くさい脳細胞を死滅させるために十分な量のアルコールだった。この危険極まる治療の結果、いらない脳細胞だけでなく、社会に適合するために必要不可欠である罪なき脳細胞までも、アルコールによる打撃を食らってしまった。
さて。これから始まる物語は、心優しく誰もが尊敬して止まない、あるお医者さまの人生のお話…ではない。
前章終了
☆余談
これ、1977年の年末~78年の年始にかけての出来事で、ちょうど同じ時期が載ってるマイケルペイリンの日記本を持っていたので日付を辿って探したところ、ありました!この一連のグレアム入院騒動の流れが。マイケルの日記にも。
一緒に読むとおもしろいので、そちらからも抜粋して訳を載せます。
1977年、12月29日木曜日
家に帰ると妻のヘレンが深刻そうに「その…グレアムが…」と言ってきた。それを聞いて反射的に「死んだの?」と聞いてしまったが、そうではないらしい。何日か前に家で酒のボトル共々倒れ、病院に運ばれたそうだ。あとでグレアムから電話があった。すごく弱って小さくなった老人のような声をしていた。酒を断つために丸3日アルコール依存症の禁断症状と闘い、その末に今日家で倒れたと言っていた。
「マイキー、ひとつだけ言っておく。もう2度と強い酒は飲まない」(心からそう言ってるみたいに聞こえた)
☆よく訳せないんですけど、この前の日かなんかにジョンが新聞のインタビューでグレアムについて何か言ったみたいで、そのショックでグレアムは酒を無理に断ったんじゃないかってマイケルは書いてます。(勘違いだったらごめんなさい、誰か教えてください…)イギリスの新聞アーカイブとかめっちゃ探して1977年12月28日のデイリーミラー紙は発見できたんですけど、ジョンのインタビューまでは発掘できませんでした。誰か発掘できた人いたら教えてください。情報提供ウェルカムです。
1978年元日、日曜日
ジョンから電話。この週末は田舎に帰っていたそうだ。家に帰ってきてグレアムが精神的に衰弱しているとの知らせを聞いたと。
☆ここでもジョンの新聞記事の話が出ますが、頭が悪くて英文がうまく読み取れません。もしかしたら新聞記事の内容知ってないとわからないやつなのかもしれない。
この日にグレアムは退院したそうです。おそらくこのタイミングでクリニックでの治療に移行したんだと思う。
~可愛いのでもう一つおまけ~
1978年1月8日、日曜日、バルバドスにて(ライフオブブライアンの執筆合宿のため)
グレアムは薬物療法を続けて順調にシラフの状態を維持してることをとても誇らしく思っているようだった。エリックとグレアムと三人で、たった30分の間に空と海面の色彩を絶えず変えていく美しい夕陽を眺めているとき、突然グレアムが今日の日付を聞いてきた。8日だけど…と告げるとグレアムは何やら言いづらそうにもごもごと、「その…ぼく今日誕生日なんだよね…」と。
37歳の誕生日を迎えたグレアムに、フルーツジュースで乾杯しました。
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