ブンゲイファイトクラブ2 1回戦作品感想

今回はちょっとしか感想書けそうにありません。
まとまるのを待つとアップできないので、随時更新します。

https://note.com/p_and_w_books


Bグループ


「今すぐ食べられたい」仲原佳

 はじめ牛の独白がくどいなあと思った。内容に目新しいものはなく、単に牛肉好きな人間の語りと変わりないのではと。そう思って再読すると、確かに牛の心情が描かれているが、独白ではなくて第三者視点の文章だった。それを独白であるかのように感じたということは、知らないうちに描かれている牛の気持ちに感情移入していたということだろうか。
 所々誇大妄想めいた空想や矛盾を含んでおり、そこは笑うところなのかも知れないが、むしろ牛の悲しみを引き立てていて良いし、最後切ない。


「えっちゃんの言う通り」首都大学留一

 突然の異常事態と、はじめは混乱しつつもそれに適応していく集団を描いて笑わせ、最後に学生時代のノスタルジーを感じさせて締める、物語の王道ともいえる展開。冒頭の学生時代の思い出と中盤の大合唱がその布石として置かれていて、よく考えられているのだろう。
 んなわけあるか、とツッこみたくなる集団心理が面白い。ただ状況説明の部分が多いのと視点を固定しているとはいえ第三者の語り口なのとで、もう一つ主人公にも集団にも感情移入できず、面白いアイデアもしくはプロットを見せてもらったという印象にとどまった。そういう小説だといえばそれまでなのだが、終わりの感傷がそれまでの笑いに比例することを考えると、もっとのめり込ませて欲しかった。
 高輪ゲートウェイ駅があるので今年の話になるが、遅刻しそうなのに誰も携帯やスマホで連絡をとらないのに違和感があった。フィクションだからと言えばそれまでだし、作者も必要性を感じなかったのかも知れないが、わたしとしてはフィクションだからこそそういう違和感を感じずに話のなかに没頭したかった。

「靴下とコスモス」馳平啓樹

 Kは途中の口調が女性っぽくなかったので、同性の友だちかパートナーかな。同居して、うじうじしている僕を叱ってくれたり話を聞いてくれたりするくらいに深い関係なのだろう。
 二年前に、車の店で靴下の片方を捨てられて、残った片方も自分で捨てたのは、当時の大切な人を失って、自分のなかでも「過ぎ去った事」として心に区切りを付けたことのメタファーなのだろうと解釈した。
 そしてKはその後に得た同居人で、今回また失いそうになった靴下の片方がそのメタファーになってると読んだ。作品に登場するKは終始優しく関係性が悪いように見えないので、その関係の危機は僕のなかでのことなのだろう。だけどどうしても諦められず、毎日戻ってくることを願って、でもそこに届く棒もなくて、気配のする部屋の呼び鈴を押すこともできない。
 新しい靴下をプレゼントするあたり、落とした靴下=Kというのが揺らぐ。もしかするとKは僕の空想の人格か。
 結局落とした靴下は消えてしまい、残った片割れを捨てようとした(=関係を諦めようとした)ら、きれいに洗われて戻ってきた。
 紆余曲折を経たハッピーエンドのようだが、浮かれた感じでなく、雨降って地固まるみたいに、しみじみと関係が深まる感じがよかった。
 靴下が消えたのが四十三日目だが、前日の四十二日は仏教での六七日にあたる日で、五七日までに生前の罪状を調査され、この日に生まれ変わりの条件を提示されるという日。それまでに「間違いなんてない。何も正す必要がない」と言っていることからも、そういった意味を絡めているのかなとも思ったが、これは勘ぐりすぎかな。
 コスモスは「色とりどりの紙で飾られた美しい箱」を譬えてるのかなとか思ったけど、無理あるか。それか季節を表しているのか。花言葉が「調和」で関係の修復を暗示しているのかなとも思った。

「間違いが正されるように、きれいさっぱり無くなっていた」はドキッとした。


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Cグループ


「おつきみ」和泉眞弓

 溺愛ともいえる母親の子への愛を綴った文章。激しいストーリー展開で惹き付けるのではなく、平板な物語を五感に訴える淡々とした心理描写で語るのが素晴らしい。ただどこか寂しさを含んでいて、その正体が何かと思いながら読み進めると、実は主人公は流産した女性で、子は里親として育てた娘だったと分かる。
 実母が迎えに来て引き渡すときの「……もう、わたしはまけていたのです」が哀しい。頭のあぜ道に血の繋がりを感じて、敗北感から手を緩めて溺愛した娘を手放してしまった自分が感じていたのは、実母と養母の立場の敗北だけでなく、望んでも子を産めなかった女としての敗北感をも表しているように思えた。
 この女性は二度も子をなくしたと言えるのだろう。そう分かると、前半の子に対する愛情がなおさら切なく思えてくる。またこれほどの愛情を注いでも子どもはほとんど忘れてしまうのだろうと思うと、なお寂しい。とはいえただ悲しいだけではなくて、共に過ごした日々は嘘でも間違いでもなく、悲しみの大きさは愛情の深さでもあるわけで、誰かが悪いわけでもない。きっとあの子は大人になっても幼少期の一瞬を思い出す時があるのだろうなあと思うと、悲しみの中にもどこか喜びや希望を感じさせる。
 男性が出てこないのがちょっと気にかかった。何かの意味があるのか偶然か。
 もう一つ、ちょっと穿った見方で子の側からみたら、もしかして過干渉な母親にもなりうるのではとも思った。世に毒親と呼ばれる人も、案外当人の言い分を聞けばこんなものなのかも知れない。
 ラストまで気を抜かない文章は、無駄なところがまったくない。ほぼ完璧と言っていいのではないだろうか。


「空華の日」今村空車

 失跡した漫画家を追ってたどり着いた神社でハチャメチャなことが起こるという話だが、前半と後半の関連が薄く、それぞれが全然違う話でも通じるのではないだろうか。そういう小説だといえばそれまでだが、たった六枚の作品なら一体感がほしかった。
 神社で観音様が本殿を飲み込むのは神仏習合を表しているのか、はたまた仏教による神道への侵略なのか。それにしてもここでそれを描く必然性がない。服部さんはなぜ訳知りなのか。タイトルからして神社での出来事は幻覚の類いだろうか。分からないことだらけだが、わたしの読解力不足なのかナンセンスを売りにした物語なのかよく分からなかった。

 あとは蛇足だが、誤字と思えるところを念のため。わたしの読み間違えだったらすみません。
・「マンガの連載を待っている」→「持っている」?
・「担当者とも」→「担当者も」?


「叫び声」倉数茂

 良かった。好き。
 サバイバーズ・ギルトとはちょっと違うんだろうけど、男は助けに行こうと思ったら行ける位置にいながら隠れてしまったことに罪悪感を抱いたのだろうか。一方、女はベランダから眺める光景に恐怖感を抱いたのだろう。もしかするとフリーズしてしまいすぐに通報できなかった罪悪感も。男は隠れているところを見られたことで女に負い目を持ったかも知れない。
 欲を言うと男が恋人と別れ、仕事を転々として、結婚もせず子供も持たなかった理由としては、叫び声の幻聴やそれを共有できる女への想いだけでは弱い気がする。この辺りの男の感情がもう少し丁寧に書かれていたら、もっと入り込めた。これは個人の感じ方次第だろうけど。
 最後、詩の一行で終えているのは良いと思う。
 最初にあったのは、前後関係が混乱してしまった。また「叫び声がして……刃物が振り下ろされる」は、その前の追いかけられているところとか、仰向けに倒されるところとかで既に叫んでいるのではないかと、ちょっと読む目が止まってしまった。



Dグループ

「字虫」樋口恭介

 架空科学小説とでもいうのかな、しょーもない空想が面白い。
 一つ気になるのは字虫は眼球内全体、特に視神経周囲の網膜に最も多く生息するということだが、エネルギー源である眼球運動時の電気は外眼筋で起こるものなので、視神経周囲網膜に多いというのは矛盾があるがその考察が紹介されていない。また眼球運動が激しい人の眼球に寄生するとのことだが、読書における眼球運動は大したものではなく、スポーツ選手などの方がよほど寄生リスクが高いのではないだろうか。


「タイピング、タイピング」蜂本みさ

 文字が一部隠れていて変な言葉や文章に見えるという、街中でよく見かける風景をうまく使った導入はさすが。他にも、切符の改札機と肉挽き機の類似、再生した皮膚の敏感さ、義指と擬音語「ギシ」の類似、「ホンドモグラは……」の聞き違え。こういった日常の些細な風景への視点がこの作者は非情に鋭く、それを適度に丁寧に織り込むことで物語に独特の柔らかさを持たせている。
 指のエピテーゼを弄ばれる回想に続けての「良いお品ですね」がうまくつながって、一瞬エピテーゼの評価なのかとミスリードさせるのも意図的だろう。うまい。
 「あなた」との関係もおそらく好意を持っていたという以上には明確にしないことで想像の余地を残し、書かれていない物語を読者それぞれに読ませてくれる。謎の言葉の最初と最後は「今度……に行こうよ」ではないかと思うのだが、だとするとデートに誘われたということで、まだ交際はしていないけど互いに好意を持っている関係ではなかろうか。主人公が聞き取れないのは騒音のせいもあるが、嬉しくて耳を疑って全然別の言葉なのではないかと疑う、という心の動きを含んだ描写なのではないかと思った。だとしたらすごいな。
 のぼりの言葉は、「切れたネックレス」、「片方だけのイヤリング(ピアス)」、「つぶれた指輪」かな。「ホンドモグラは……」は分からなかった。
 わたしの幼い頃、小指は赤ちゃん指と呼んでいたような気がする。


「元弊社、花筏かな?」短歌よむ千住

 元弊社という言葉が頭から離れない。それだけで十分なのだが、なぜ残るのか言語化しようとした。
 弊社は自分の会社の謙譲語。元なのでもう謙譲する必要がないの、にこの二つを組み合わせることで働いていた頃の自己を殺して服従せざるを得なかった無力感が滲み出ているように思う。


Gグループ

「ミッション」なかむら あゆみ

 なんかヤバい人いる。関わりたくないな、こんな人。子供の頃から独自の儀式的信念による験担ぎをもっていて、他責的で、社会規範から外れた行動をとる。
 冒頭の自分を外部の目から見て解説するのは、離人症のような一種の解離症状を表しているのか。発言も「ダイナマイトが爆発する」などと本気だとすれば妄想がかっている。最初は「耳が不自由」なので聞き返したのに、最後は「口元から言葉を読みと」っていると言っており、相手を責めるために都合良く聴覚障碍を利用している。しかも相手を自己中心的と断定しており、どこまでも攻撃的だ。
 そして最後の「職員が戸締まりに来る前に」はこの女性が職員でない一般人という意味だろうか。だから監視カメラの死角も心得ており、美術館や動物園などで職員の振りをしてそこにいるというのが、この人の儀式(=ミッション)なのか。
 終始主人公の病的な言動や信念が描かれており、読み方によってはおかしな女性を揶揄するもののようにもとれる。しかしわたしはむしろ、これが意図的でないものとして、この女性は精神疾患か障碍とも思える周囲とのズレのために、どれほど生きにくい人生を送ってきたのだろうと想像してしまう。読者に嫌悪感を引き起こすことで、そんな嫌悪を抱かれる人間のことも考えてみてくれ、という作品に思えた。


「メイク・ビリーヴ」如実

 テプラと言葉に執着する女性。ただその単語は実際のものを正しく表してはおらず、独自の呼称を与えているかのようにバラバラ。
 中学生になって「何となくしなくなり」いったん終わったとあるので、取り上げられたわけでもなさそうだが、高三で「再開を望む」というのが「?」な表現。
 宮沢賢治が何か重要な位置づけを占めているのだろうか。クラムボンは賢治の詩に出てくる言葉。最後の女が貼ったらしいテプラの文面たちは、何かを表しているのかも知れないが、ざっと読んだだけでは分からなかった。
 言葉の意味を解体することを試みているようにも思えたが、それならそれでその先に何があるのかを示して欲しかったが、わたしには読み取れなかった。考えすぎか?


「茶畑と絵画」岸波龍

 これ、好きやな。相変わらず、何が良いのか説明はできないけど。最初と最後が全体からは浮いている気がするけど印象深い。「折る」と「切断」に挟まれて、この作品の空間が隔離されているかの……なんてことないか。どれが好きかというと全部好きだった。


「ある書物が死ぬときに語ること」冬乃くじ

 冒頭、幼女の性的虐待の話かと思い緊張したが、その後本の独白だと分かりホッとした。これは初っ端から意図的にミスリーディングを誘い、読者の感情を揺さぶる企みだろう。見事に転がされた。
 本は「数年たって自分の物語を話せるようになる」「(古本屋には)自分の物語を語れる本が大勢いた」のは、読まれることで自分に書かれているものを語れるようになるのか。そうだとすれば声を出せぬまま捨てられる本もいっぱいいるのかも知れない。声の大きさも読まれた回数に比例するのかも知れない。しかし素敵なのは小さな声の語りでも、皆耳を傾け、聞こうとしてくれるコミュニティーだということだろう。
 古本屋の次に辿り着いた老人倶楽部のような共有図書館。こんな場所欲しいな。みんなでお気に入りの本を置いておきたい。そこにいるのは「二番目以降に好きな本」というのが、また微妙な哀愁を感じさせる。
 主"本"公の実験的な小説を巡ってのやりとりなど、まさにBFCやないの? 「自分の物語を読まれた夜は」ってのは本だけでなく、作者にとっても体の火照る夜となるだろう。おそらくこの作品の作者の冬乃さんも今頃、眠れない熱い夜を過ごしているに違いない。
 所有者のKは死に、詩人も死に、老人の共有図書館は閉鎖されたのち、Jはわたしを持ち帰る。とはいえ、一番好きな本になったのかどうかは分からない。最後にJも死ぬ。この本の一六三頁には何が書かれてあったのか。なんとも切なく美しいラストだった。
 あと、前回も出場したこの作者にとっては「愛」が重要なテーマのようだ。Kが死に、Jが死んでも、その次のI(愛)は残っている、という解釈はいささかわたしの駄洒落好きに引きずられすぎだろうか。多分そうだな。



Hグループ

「PADS」久永実木彦

 ほのぼのとした猫との思い出話かと思いつつ、このままで終わるわけないよなと読んだ。科学性を完無視した、ぶっ飛んだオチを真面目に描いているのに笑った。
 要するに肉球は正義ということか。


「voice(s)」蕪木Q平

 なんかいい。
 amazonアレクサにも、子供が悪さしてたら鬼が訪ねてくるぞってのが、あるんですよね。それの画像付きアプリでしょうか。
 終盤の鉤括弧一つだけの羅列は、それまでの言葉とつながるのかな。それとも侵入思考的に頭の中で言葉が終わる前に次々と浮かんで来て、混乱しているのを表してるのか。主人公の追い詰められた感じが伝わってくる。
 亜実と呼ぶ女性の友人と、Anzと呼ぶ男性、子供と夫。話者の切り替えを意図的に省略することで、一瞬戸惑わせ立ち止まらせ精読させる技術もうまい。
 Anzってアルファベットの最初と最後と、真ん中2文字の一つなのって偶然かな。主人公が付けたハンドルネームで、男性とはSNSで知り合った、ただならぬ関係? などとも想像する。
 主人公の辛さがひしひしと伝わるだけに、もっと文章を理解したいっていうもどかしさがある。時間さえあれば何度でも読み返したくなる。

「爪を切っておけばよかった」「涙で黒目が膨らむ」好き。




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