ブンゲイファイトクラブ4 準決勝感想
草野理恵子さん『雰囲気しりとり』
草野さんの詩は以前から好きだが、理解できるかというとさっぱり理解できない。
理解という前頭葉を飛び越えて大脳辺縁系に染み込んでくる、なんかええ感が好きの根拠だ。
さてこの作品はどうだろう。
【→窓&落ちる→】
最初の【→窓&落ちる→】が最後にもあることから、これは無限ループで繰り返すのだろうというのは理解できる。地球最後の日と知っているのは私だけということは私がタイムリーパーで何度も最後の日を経験しているのだろう。
「今日はなぜかみんな仲が良かった」いつもは仲良くないのか。最後の日はそうと知らずとも人を優しくさせるのだろうか。
【→地球最後の日&青→】
ターコイズブルー=蛸は青(Tako is blue.)! だじゃらーの血が騒ぐ。
「蛸探そう そして切ってみようよ」が突然でインパクトあった。
蛸なのに数え切れないほどの足? 触るだけで切らないの? 足を触る指がちょっと官能的。蛸の睫毛!?
上からの声は宇宙人? なら蛸は『宇宙戦争』の宇宙人か。地球は宇宙人に滅ぼされるのか。
【→血&居眠り→】
居眠りしてるから夢かな。
美しい風景。転んで膝を擦りむくって、子供の頃の想い出かな。乳歯って書いてるし。
装甲車、防弾ガラス。宇宙人との戦争か?
何となくロシアに攻め込まれるウクライナを連想するけど、そんなことは読み取れない。自分の関心を投影しているだけだろう。
【→ピンク&乳歯→】
ピンクのワンピースがここでナースの白(?)衣に変わる。
屋上への移動は攻め込まれて追い詰められるイメージ。
えー、いきなり切断された手足がゴロゴロ。鉄砲で自殺を図るも死ねない。
白衣や雲のピンク色は前のところで白いタイツが血で汚れるって書いてるのもあるし、血や死の象徴かな。
ここではひめゆり学徒隊を連想した。そんなことは書いてないけど、看護隊とか、自決とかからは読み取れなくはないかも。
そして初めに戻る。
ここまで読んで、最後の日というのが「世界終末時計」を表しているのではと思えてきた。
2020年以降現在に至るまで、これまでで時計が一番進んで残り1分40秒の状態が続いている。何度も滅亡の危機を経験してきているのに、相変わらず戦争を繰り返す人類。それが無限ループだと言っているのではなかろうか。
でもまた最初に戻れるとは限らない。何故なら”私”以外は誰も最後の日を知らないのだから。戻れると思ってたら終わっちゃったってなるのだ。
最後の日でも笑い合ったりごっこ遊びをしたり、無邪気に過ごす子供達。何も知らされず大人達の都合で命を奪われるのはいつも彼/彼女らなのだ。
宮月中さん『バス停山』
誰が押したか分からない降車ボタンというのがまず不穏だが、それは最後に種明かしされる。
バスの乗客のそれぞれが何らかの事情を抱え、ボタンが押されることがそれぞれの意味を持つ。どこかに向かうバスや列車は、時の流れや人生の比喩としてこれまでも数多く使われているが、そこに降車ボタンという要素を付け加えたアイデアが秀逸だ。
母からの過干渉、抑圧、呪いに絡め取られ逃げる術を持たない希美。実家に帰りたくないが帰らざるを得ない、独りでは生きていく力を未だ持っていない子供。彼女には押される降車ボタンが、嫌なものを少しだけでも遠ざけてくれる優しさに感じられる。
髪を切りスカートを捨て後ろ姿は少年に見えるというところからはトランスジェンダーの可能性もある。希美のボーイッシュな姿を「母親は"まだ"知らない」とあるのは、これから実家に帰って母親にカミングアウトしようと考えているのだろうか。しかしここで安易にジェンダーを悩みの根源に持ってこず、母娘関係における呪いを丁寧に描き出しているところに配慮を感じる。そもそも彼女の鬱屈を理解するにはジェンダーを持ち出すまでもないだろう。
死刑執行を行う刑務官である幸一は、仕事のストレスからかボタンを押さずにいられない。それがこのバスの中では行動療法的な効果でボタンを押さずにいられるという体験をする。しかしここでも安易にそれを良いこととせず、「罰なのか、救いなのか」として押せないことによる不安もすくい上げているのが良い。
希美にせよ幸一にせよ、この短い文章で鬱屈や強迫に納得をさせるだけの背景を書き上げる力、アイデアに溺れて安易な設定にしがちなところでもう一歩踏み込んで深める力には脱帽した。
バス停山は姥捨て山のもじりだろう。
自分の無事を予感しながら見知らぬ誰かを助けようとする悠の優しさにほっくりする。バス停山に向かっているというのは悠の勘違いなのだろうが、途中で幸一も「こんな道を通っただろうか」と思っており、ひょっとするとどこかの異世界に連れて行かれるのではという可能性を残している。そこが読後の余韻を味わい深いものにしていて素晴らしい。
奈良原生織さん『編纂員の夜勤』
難しかった。いや、物語はとても分かりやすくそのまま読めばそれなりに面白いんやけど、初読では何か途中でほっぽり出されたような感覚。
IDが何に使われるのかは謎のまま。
ユーザーが減った原因も不明。
マヌカの笑顔が夜にしか見られない理由も不明。
もちろん作品で謎をすべて解明しなければならないわけではないけど。
最初図書館の書庫が大量のサーバーということで、紙書籍と電子書籍の関係? などと思ったが、それは書籍ではなく人の想像を抜き取って溜めている。
人の想像の断片を集めてAI小説を作成しているのか?
でもその程度なら発覚しても図書館の立場が「とても危ういものになる」ほどのこととも思えない。
とここまで書いててふと気付いたけど、これは近未来のプロレタリア文学なのでは。現場の労働者は自分の労働が一体何に繋がっているのかも、会社の危機の原因も何も知らずにただ使われるだけ。もっぱら興味は解雇されるかどうか、自分の生活がどうなるのかに向けられる。
謎をそのまま置いているのはそういった、謎への無関心を表しているのかもしれない。
ちょっと気になったのは、「雉の羽化」というパスワード。羽化は昆虫に使う言葉なので雉なら孵化の間違い? それとも暗号なのでわざとおかしな言葉を使っているのか。
それとトバが損傷した頭頂葉は主に感覚統合や空間認識を担っているので想像力は保たれていると思う。それでID徴収を免れるのは何故だろうか。
もひとつ脚の付け根でなく「股の付け根」という言葉。股はどこかから伸びている部分ではないので付け根は存在しないのでは。
冬乃くじさん『あいがん』
あいがんは愛玩だろうが他の意味も含んでいるのか。まさか眼鏡のアイガンではあるまい。
とにかく色の対比を多用した幻想小説だが、雰囲気だけに留まらず支配的な母とその母に育てられた娘との関係を描く力作。
白=正しさ、希望
黒=悪、絶望
という対比だとするとありきたりだが、そんな感じだろうか。
白はミルク、白い箱、ゆきのすけの雪、骨、シロナガスクジラ、棺。
白い箱は成長して黒くなり、ゆきのすけは失われ、棺は燃やされて煤になる。
黒い煙の中に飛びこむと白い箱が浮かび上がる。
白黒は絶対的なものではなく、陰陽論のように互いに変換しうるものなのだ。
箱が「家」ではなく「空き家」としたところに意図を感じる。わたしの精神の空虚を表しているのか、家族性の不在の象徴だろうか。父の存在にまったく言及されていないのも歪な家族を思わせる。そして支配的な母の呪いを受けて育ち、自身も犬に対してしつけの名の下に支配的に振る舞ってしまうわたし。
ゆきのすけは一つ上の兄?
明言されないが何らかの事件で亡くなったのだろうか。
「生と死のすべての責任」を負おうとする思いや、「親より先に死ぬんじゃない!」との叫びはゆきのすけのことが背景にあってのことだろうか。痛ましい限りだが責任はしばしば支配や操作と混同されてしまう。
さらに話せなければ犬の気持ちが分からない母は、共感力、想像力が欠如しているのだろう。
犬にもわたしにも押しつけの思いやりで支配的なのだが、それがこの欠如故だと考えると、母の悲しみにも思い至る。
ましてや幼い息子を事件で失ったことも鑑みると、単純に毒親と切り捨てるのは躊躇する。
恋人とのシーンは子どもを愛する自信がないことを表現するためだろうか。少し浮いているようにも感じた。
箱はわたしの精神の象徴のようなものだろうか。母の支配を離れ白かった箱は成長して黒く煤だらけになる。わたしはその箱に入り、電車が「光を乗せて」走り去る。光とは希望? 裸になってうずくまるわたしは赤ん坊へ退行し母に手を繋がれて生まれ直す。
最後のひなぎくは平和や希望といった花言葉を持つが、同時に雛人形のように手元に置いて愛でる愛玩物の象徴とも取れて、未来の明るさと暗さを同時に提示されたように感じた。
色がカラフルになるので広がりを感じる一方で、鉢植えということで自由を制限し手元に置いておくという印象もあり、やはり良い結末か悪い結末か気になる。
あと「布貼り」は「布張り」かな。