支配を感じると

すぐさま逃げたくなる。
その手から、遠くへ行きたくなる。
芯から自由を愛しているのかもしれない。
昨日、自由という言葉の語源と、西洋の自由との違いについて知った。
西洋の自由は、縛るものからの解放。
東洋の自由は、自らに由る。
西洋は発信元が、ネガティブに感じる。
対して、東洋は、あるがままであること。
私は、まだ、ネガティブからの脱却に過ぎない。あるがままである境地に行った時、私はどう感じるんだろう。
そこに行くには?
そもそもその境地は、行くものなのか?
また、自由の定義を知る旅に出るのか。
すぐに行きたい気持ちがはやる。
なぜ、すぐに行きたいのだろう。
今が、支配されていると思うから?
今が、あるがままにいないから?
その境地に行ったらどんな気分だろう?
あるがままにいられたら、どんな気分なんだろ?
あるがままの境地、完全なる自由。
自我に翻弄されない自由。
まだ、それを知らない。
だから、生きているのかもしれない。
自我からの解放、完全なるあるがままの境地。

でも、きっと目の前に、今にある気がする。
こうして、文字を打っている時も、
階段を昇っている時も、
電車に乗って、窓の外を眺めている時も、

その行為をしている自分がいるだけで、
自由はいつでも感じられるのではないかと、ふと思った。
その行為を見ている自分は、いつだって自由だし、いつだって微笑んでいる。
それはまさに、自由だし、ありのままだし、何ものかから、何かを受けていない。

いつだって自由で、
いつだってあるがまま。

そんなわたしは、いつもここにいた。

それだけのことだった。






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