見えない自分の意思

見えない。何がしたいのか。
軽く燃え尽きているのか、淡々と進める目の前のことに、もっと楽しく、もっと刺激を、もっと面白みをと求めているエゴの声。静かで穏やかな中にいればいいものを、こんなはずじゃないとずっと前から私に訴えてくる。
こんなはず?どんなはず?
どんなはずが、私の人生だったのだろう?もっと社交的で、もっと器用に進められて、どんどんやりこなしていて、たくさんの喝采を浴び、輝いている。そんなのが私の人生だったのだろうか?
輝いている人を見た時に、羨ましいと思った。輝いてる人を見た時に、私もキラキラしたいと思った。
あんな笑顔で、人と接していられたら、どんな時もそんな自分でいられたら。
そう思った。
鏡に映るのは、くすんだ顔、シミが沢山あるたるんだ顔。キラキラしてなくて、なんにもやる気が出なくて、、、
比較してる。努力とは何か?
努力を辞める日はいつか?
努力とは辛いことなのか?
努力とは、思い感覚のものなのか?
努力とは、楽しくないことなのか?

輝くために、努力するのか?
輝きたいから、なにかするのか?
何かが違う気がする。

やりたいことをやろう。やりたいようにしよう。気を楽にして、淡々とやるだけで、なんの比較もする必要が無い。

食べたいものを食べ、買いたいものを買い、やりたいことをやらせてあげよう。
いつまであるか分からない命。
目の前をできるだけ楽しもう。今あることを楽しもう。
目まぐるしく周りは動いてるように見えるけど、正直なところ、あんまり興味が無い。私の世界が回っていれば、それでいい。困ってる人がいれば、できる範囲で助ければいい。
今日はそんな気分だ。ただ、淡々と仕事をして、休んで、食べて、したいことをして、そんなに進まないし、レベルアップする感覚は無いし、なんてない。それでいいんじゃないかな。
それで良し。

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