夏が来て僕は

家の近所を散歩している。しばらく引き篭もっていた所為で伸びた髭を撫でながら歩く。

ゲーミングPCみたいに光っている街道沿いのラブホテルの前を抜けると、少し高い土地に歩道橋が架かっている。

階段を登っていると汗が噴き出してくる。手摺りのクリーム色の塗装は少し剥げていた。

階段を登りきると景色がまっすぐと広がる。地上よりも少し静かで、空気が澄んでいる。

橋の真ん中から車道を覗くと、長距離運転をしている大型のトラックが河川の如く流れていく。

うんざりするような暑さの中で、ようやく一息つける気がする。


肌触りの暑苦しい季節が来ると、毎年頭の中に廃墟のイメージが浮かび上がる。

滞留する埃とカビの混じった匂い。パリパリと剥がれたモルタルを踏みつける音。腐った畳の匂い。勾配のきつい階段の軋む音。

それらの多くが、夏の蒸し暑い空気と紐付けられている気がする。

遠い夏の日に、地元でよくつるんでいた友達は、近所のパチンコ屋の廃墟に消火器をばら撒いていた。炎天下自転車に跨って振り返ったその廃墟からはまだうっすらとピンク色の煙が立っていた。

そいつはいつもスプレー缶を持っていて、行く先々に自分の名前を書き残していた。

俺たちは駅の近くの廃屋をアジトにしていた。金持ちが夜逃げしていった豪華な家だったが、俺らの他にも使用者がいたようで、コスプレ用のセーラー服なんかがよく落ちていた。

そいつは学校に行っていなかった。夏の公園で咳止めとウイスキーの大瓶を飲み干して死にかけていたのを学校帰りに助けに行くなんてことがよくあった。

ある時は鎮痛剤とカフェイン錠を大量に飲んで自転車に乗って、意識を失って道に寝転んでいた。いつも死にたがりだった。

ある夏の夜中に、そいつは歩道橋の手すりを乗り越えて外側に回ると、鉄骨のような橋梁の両淵に手と足を掛け、トラックがその下を走り抜ける中、橋の真ん中にスプレー缶で大きく自分の名前を書き残した。俺は歩道橋の下に降りてその一部始終を眺めていた。そいつの背中は、「俺はここに生きているぞ」と言わんばかりに、暗闇の中で眩く光を放っているように見えた。

その年の夏の終わりに、そいつはガールフレンドの父親を刺した。ガールフレンドが父親から虐待を受けていた所為で児童養護施設から出られなかったからだ。情状酌量かなんかで少年院には行かずに済んでいた。

年が明けて冬の一番寒い頃、俺とそいつは金の話で揉めて喧嘩して会わなくなった。思えばそいつと笑い合っていた思い出は夏の日ばかりな気がする。

春にはまた遊びに誘われるようになった。今思えば仲直りのつもりだったんだろうが、なんだか俺は気を悪くしていて会う気にならなかった。

時が過ぎて夏の終わる頃、そいつは車で河川敷から転げ落ちて死んだ。終ぞ会わないままだった。

何日かして事故の現場に行ったら、赤いテープが巻きつけられ、グチャグチャに折れた樹木だけが残されていた。


地元の歩道橋はその後しばらくして新しく塗り替えられて、今ではその塗装すらも古くなり始めている。そいつは確か俺の2つ年下だったから、もし生きていたら今年の夏には成人を迎えていただろう。

うだるような夏の蒸し暑い空気には、ネジの巻かれなくなった時間の残り香が染み込んでいる。

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