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中国タバコ

あれは大学一年生の頃だったか。冬の日だった。まだ世の中でウイルスが流行ったりする前の話だ。大学の友達と池袋のスケートショップに遊びに行った帰りに、大通りにある喫煙所に寄っていた。東口の、都電の駅に向かう道にあるやつだ。

塀で囲まれた喫煙所の中にこれ見よがしに大きな樹が植えられていて、俺らはその樹のことを"生贄"と呼んでいた。近くの脇道を入ったところにある電灯には友達が投げたスニーカーがずっとぶら下がっていた。いつもの如く、その"生贄"に煙を吹きかけていると、1人の老人が話しかけてきた。

訊くと、近くのホテルへの道がわからないようだったので、Google Mapで調べて教えてあげた。すると老人は感謝の言葉を述べ、見知らぬ箱に入った煙草を差し出した。

老人に尋ねるとそれは中国のタバコで、老人は仕事でよく北京を訪れるらしい。俺はその次の年に北京の大学へ留学することを老人に告げると、老人は同志を見つけたような顔をして様々なことを教えてくれた。大半は老人特有の「俺はまだお盛んだから」的な内容だったので忘れたが。そしてこんなことを言っていた。

「このタバコは中国で一番良いタバコで、ひと箱100元(当時1600円)するんだ。中国では高いタバコを吸うのがホワイトカラーのステータスで、会った人には友好の印としてタバコを渡すのがマナーなんだぜ」

ずっと350円のエコーを吸っていた俺はずいぶんと面食らったのを覚えている。

「北京は良いところだからぜひおいで」的なことを言って去っていった老人の背中を一瞥したその数日後、テレビでニュースキャスターが中国で謎のウイルスが見つかったと話していた。

それから4年が経とうとしているが、紆余曲折あって先達ようやく北京大学へ辿り着いた。といっても用事のついでに寄っただけなのだが。彼女の知り合いの北京大学の学生に校内を案内してもらって、自分が行くはずだった施設を見て回った。

北京大学は早稲田とは比べ物にならないほど広い。みんな大学の中を原付で移動している。大学の中に五重の塔みたいな建物があったり、学食が5つも6つもあったり、山水画のような池のほとりで子供たちがシャボン玉を飛ばしていたり、、

4階建ての食堂

学食で四川料理を食べながら、そこで過ごしていたかもしれない一年とそこから繋がるあったかもしれない現在に思いを馳せてみるが、不思議なほどに現実感が無いどころか、今こうしてこういう形で訪れていることが何故か必然としか思えなかった。

学食。300円しないくらい

4年近くの歳月うちの7割くらいはもがき苦しみながら過ごしていたが、それは実は失うことを考えられないほどに充実していたのかもしれない。はたまた、内実云々ではなく過去という概念の性質そのものがそうさせるのかもしれない。哲学樓と呼ばれる古びた建物を眺めていると、どこからともなくそういった考えが去来する。

大学構内


帰りに近くの個人商店でひと箱100元の煙草を買った。この数年で人民元の相場が上がっていたので2000円もする計算だ。パッケージの至る所に龍の模様があしらわれている。一本吸ってみる。高級そうなのはなんとなくわかるが、日本でも三級品ばかり吸っている舌では美味いのかどうかはよく分からない。

この品格に追いつく年齢になった自分の眼に、今日この頃の思い出たちはどう映っているだろうか。この数年でタバコを配って回りたい人達がずいぶんと増えた気がする。彼らの顔を思い浮かべながら成田行きの飛行機に乗り込んだ。

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