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死にたい!や死にたいと思ってはいけない!問題に終止符を打つ

死にたい!
といってはいけないのだろうか?

気軽にいってはいけないかもしれないが、気軽かどうかは本人にしかわからないし、本人が少しでもそう思うことがあったら、何かしらの状況は深刻になっているのではないかと思う。

一方で「死にたい」という言葉はとても強い意味を持っており、聞いたときにそれなりに聞いた人の心に何かしらの影響を与えることにもなりうる。なれてる人もいるかもしれないが、多数派の意見としては「ドキッ」とした、「えっ、どういうこと?深く聞いていいの?聞かない方がいいの」という疑問を発生させ、悩ませる種には十分になりうる。

本人の自由なんだからいいじゃんと言ったりもするが、それなりのTPOが求められる強いメッセージではある。

私もいろんな考えがあってよいと思うし、単純に○○してはいけないと、何においても頭ごなしに言うことはできないと考えている。

では、なぜ死にたいと思ってしまうのか、という理由を考えることも大事だが、思考の傾向としてもとらえると、また違った視点にたてる。

死に値する人

一旦自分のことはおいておいて、
死に値する人っているのか?

裁判結果で死刑になる人がいる
その人の罪によって罰として死刑がある

犯罪をおかす理由として、生育環境があり、遺伝的要素があり、現状の生活環境がある

これらの外的要因を取り除いて、その人だけを見たときに死刑に値する人はいるのだろうか?

遺伝的要素は内的要因かもしれないが、一方で生まれる側の考え方として、その遺伝子はやめてほしいみたいなことはあると思う。その遺伝子があったら、すぐきれやすくなるんでしょ?とか、その遺伝子があったら、気持ちが落ち込みやすくなるんでしょ?とか
そんな遺伝子をほしいと思って生まれてくる子はいないんじゃないかと思う

そしたら、遺伝的要素を外的要因であると、もししたら、外的要因によって人は死に値するような犯罪や事件を起こすのではないかと思う。

ということは、外的要因がなかったら、人は死に値する人はいないんじゃないかと考えてもいいかもしれない。

死にたいにいたる道

死にたいと思える人は以下の流れで起きていると考えている

  1. 客観的に自分を見る

  2. 家庭環境、遺伝的要因、現在の環境から苦しい状況であることを把握する

  3. そして上記の外的要因によって周りに迷惑をかけていると思ったり、迷惑をかける可能性があったり、実際に何かしらの手間をかけさせていることがある

  4. 様々なことが積み重なって解決できなさそうだと感じてしまう

  5. そして100-0思考に陥ったことにより、「死にたい」「自分は死んだ方がいい」「価値がない」という結論にいたる

客観的事実まででは死までは遠い

上記の1~3までは客観的事実の側面が強い。3の中には予測もあるので主観的要素もあるが、1~3は誰でもある
必ずある

たとえ1~3でどんな強い要素があろうと捉え方は人それぞれであり、死への思いへは至らない

主観的思い込み

4と5で、人は死にたい思いを持つことになる
1~3でどんな些細なことがあったとしても、4と5の受け止め方によって、いくらでも死にたいという思いは出てくる

理由じゃない

死にたいというのに結びつけるのは客観的事実や理由をいくら積み重ねてもたどり着けない

客観的事実に対する感受性であり、そして最後のトリガー引くのは100-0思考である

思わず行動してしまったということはあるかもしれないが、「死にたい」という希死念慮は4と5である

死にたいという思想

そして「死にたいという思想」によって、様々なものが生まれる
「死にたい」と思って、1秒後に行動にうつして結果を出せる人は多くはない
なぜならそこへのハードルが圧倒的に高いからである
「死にたい」でも「死ねない」、じゃあどうするかという葛藤の中でもがくことで芸術が生まれたり、自分の変革が行われたり、環境変化が生まれたりする
だから、この「死にたい」っていう思いは、持ち続けることはつらいけど、命を燃やす力にはなる
苦しいし辛いし、早くと思うかもしれないけど、命を燃やしている行為である

最近思う「死にたい」思いの扱い方


生きているのがつらいや、毎日自己満足に仕事ができなくて、みんなに迷惑をかけているとか、いろんな理由があり、そして八方塞がり的になり、だったら、しんだほうがいい、死にたいのだ、という思想になる。
そしてどんなに改善をしても、そしてどんなに変わろうとしても、変わらない自分がいて、こんなに迷惑かけてるなら死んだ方がいいと強く思う。

以下に確実に死へ向かう方法を伝える(時間はかかる)

  1. 必ず最後は死ぬ、死ななかったものはいない、だから必ず約束されている

  2. 人生を終わらせるためにすべてやっていると思う スマホを見ることも、時間を無駄にすることも、寝ることも、食べることも、仕事することも、人に嫌われることも、すべて確実に死へと向かわせてくれる行為である

  3. 常に身体の中では細胞は死んでいる 小さな夢は必ずかなっている

だから一挙手一投足を生きるために使うのではなく、きっちりと死ぬためにしっかりと死ぬために使うと意識することである

生きていることという客観的事実はなくて、死につつあるという客観的事実しかないのだから。

生きているというのは主観的思い込みだからもっと冷静に着実に死に向かっていると道を間違えずに客観的に死へと向かっていること実感して、ゴールを向かえていく

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miya999999999
次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。