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気合いで目標達成は古いのか
気合いで何かを達成する
そんなことは可能なのか
四半世紀ぐらい前ならむしろそれが主流だっただろう
今や気合いで目標達成するとか何かを成し遂げると言われたら、そんなんで出きるわけない、ちゃんと分析して自分の強み弱みを見極めて強みを生かして弱いところはサポートしてもらうのがいい、となる
全くもって賛成である
では、気合いは無意味だったのか?
当時はそれしかなかったんだから、それでやるしかなかったんだよ、それで達成した気分にもなれてたし、みんなもそれを受け入れてたし
きっとそういう側面も多いにあると思う
でも、もう一度、「気合」のかけ方から見たときに実はそこに奥深い心理的作用や効用がなかったのか、もう一度見てみる必要があると思う
冷水摩擦で気合をいれる
冷水摩擦なんてものをしたことはない
でも、銭湯に行って、水風呂に入ることはあった
最初はなんで入るのかよくわからないし、それこそ科学的考え方をすれば、温めたからだを水につけたりしたら、刺激が強すぎて、心臓が止まったり、風邪をひくと言われかねない
でも、実際は入るときにドキドキはするけど、覚悟を決めて入ると最初はあーーーってなるけどしばらくすると、心地よさがやってくる、そして水風呂からあがると達成感みたいのがやってくる
つまりは誰かから無理やり水風呂に入れさせたら、それは虐待であり、ひどい話だが、自ら入った場合には、気合であり、達成感があり、心地よさがある
一体それは何をしているのか
気合の本質
何かを乗り越えるときに、心理的な作用として、誰かから押し付けられたものと自らやったときとで、気持ちが全く異なる
だからといって、何でも自らやれ、というのは横暴すぎる
でも、これをやってみようという気持ちにしてから取り組む工夫はあってもいいと思うし、人生を明るいものにするヒントが多いにあると思う
気合の手順の意味
気合をいれるときに前提がある
乗り越えないといけないものがあるような気がする
自分にとって嫌なものである、そして乗り越えたところでなんか意味があるの、という気持ちも芽生えたりする、遠ざけたい、でもこれを乗り越えた方がもろもろいいこともありそうだ
つまりは乗り越えた方がいいような、でも乗り越えても別に意味ないよなみたいな中途半端邪魔者がいる
でも反対に言えば、気持ちの対象ははっきりしている、「何かこの嫌な感じのもの」
嫌なものとか何か気持ち悪いものがあったら、試しと思って以下をやってみてほしい
何か嫌なもの見つける
これに気持ちをぶつける
そのときに、動きや声をつける、もしくはつもりになる(実際に声だしたり動きをつけたりすると周りからみられたときにおかしな人扱いされかねない) 例えば、顔を大きく動かして鬼のような表情をするとか、拳をつきだすとか、剣先相手に向けて「イヤー」というとか
そのあとぶつけたあとに静寂がやってくる、これまでのイヤな気持ちとか一旦全部取り払われる感じ
自分一人になる感じがするから、お腹の底に力をぐっといれる
これで何か変わるの?と思うかもしれない
でもそれぐらいがちょうどいい
何か変わってるかもしれないし、変わってないかもしれないし、ただそれだけだなと言う感じが大事である
気合の機序
上記で何かを変える必要もないし変わる必要もないけど、ちょっと何かの雰囲気が変わるだけでいいと考えている
なにが起こっているかを説明する
嫌なものというのは自分の作ったエネルギーである
目の前の事実と言うのにいいも、わるいもなく、ただそこにあるだけである
それに対して怖いなと感じたり嫌だな感じたりするのは過去の記憶や経験からだが、まだなにも起こっていない状態だけど、それを予測して感じるのである。それがいいとかわるいとかではなくて、それに対して自らのエネルギーを使って不快なものにしていたり、警戒すべきものとしている
それ事態は人間の本能として大事なことであるが、過剰になるとしんどくなることが多い
2. 気持ちをぶつけるというのはエネルギーをぶつけるということである
このもともとよくわからないお化けのような何とも言えない恐怖やイヤな感じに対して、イヤをぶつけることがとても重要である
こういうのは黙ってると冗長してくる傾向にある
だから嫌なものに対してとか、何かうざいものに対して、とにかく気持ちをぶつけることが大事である
そうするともともと自分のエネルギーだから、自然とそこにぶつけるエネルギーもほぼ同じものになり、プラスとマイナスで消滅し合う関係性にある
3.動きや声をだすことで、とにかくぶつける相手の正体を感じることが出きる
相手自体正体不明で何となく嫌なものであり、かといって無視もできない感じのものである
だったら、大きな声をだして、なんだ!、みたいな気持ちで正対することである
何かよくわからないけど、相手に対してなんだ!お前は!ということは、作用反作用で自分に対してなんだ!俺は!という、気持ちをぶつけることにもなり、自分の存在とともに相手の正体をさらけ出すことになる
そうすることで「別に恐怖を感じることや不安を感じることはなかったんだ」という感じになる
(もちろん、実体が消えたわけではないから、問題があれば取り組むとか、問題ではあるけど、いまは無理だから取り扱わないとか、決めればよいだけになる)
4.相手も正体をさらし、自分も正体をさらせば残ったのは事実だけである
そこにあるのは、石ころが転がっているとかである どんなにきれいなお月さまでも、涙を流すような感動を誘うものであっても、ただの巨大な石にしか過ぎない
それぐらいの無機物しか存在しない世界になる
5.あとはもう一度自分のなかで何かを動かすというか決めるだけなので、交感神経の中枢である腹の底に力をいれる
余計に外に気を配っていたエネルギを自分の中に取り戻して、腹におさめて、決めたければ決めればいいし、たわいもないことであれば、気にしないと決めて、好きな道を歩けばよい
これが気合であり、いまの時代に、実はすごいパワフルなマインドフルネスにつぐ、重要な技術だと考えている
是非是非試してみていただきたい
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