観察法が自分を成長させる
観察をするとはそとの世界の出来事を自分の中に取り込むことでもある
目を通して、きれいなものが目を通して目の中に入ってくる
耳を通して、すてきな音が耳を通して、耳の中に入ってくる
鼻を通して、いい香りが鼻を通して、鼻の中に入ってくる
皮膚を通して、心地よい触感が肌を通して、肌にふれる
そしてからだの中で再現される
これをいろんなレベルでからだの中に作ることの高さが観察力のレベルである
レベルと言うのは、見えているもののディテールや、見えていないところの動きや、それが発生したきっかけなど。
できるようになることが達成の目的になることがおおい。見た形を真似る、おなじ味になる、など。
でも人は一人一人ことなる。全くおなじことができるには、その人の体や脳などそれも一緒にならないと全くおなじことはできない。
それであれば、むしろどう感じたかをおいかける方が必要だと思う。
観察法で如何に色々な体験を自身のからだの中に取り込んでいくか。そしてそれとおなじ感覚を真似るように作り出す。
一生懸命やったあとにうまくなる原理
最初はまず見る
一緒に手取り足取りやってみる
山本五十六の言葉に以下のことをいっている
「やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ」
なかなか同じようにはできない
視覚情報、聴覚情報で情報を集めて、いかにレベルをあげていくか
各種情報は意識の中の話である、無意識で学ぶには一度手放すことである
手放すことで、明確にからだの中で無意識レベルとして再現される
意識の中で取り出そうとしても取り出せない
多くのユーチューブの映像の中から奥義を抽出するにはどうしたらいいか
その方法を今度説明したい
AI分別法
AIのクオリティがあがっている
パッと見ではリアルと変わらなくなりつつある
しかし、生きた人間は生きた人間がわかる
生きていればまばたきする
生きていればからだの中で心臓がはく動し音がなる
生きていれば呼吸をする
AIの写真かどうかを判断する方法として体に聞く方法がある
画像を見ながら
自然とまばたきできるか(引っ掛かったりしないか)
目をつむって、鼻から息がすえるか(自然と空気が入ってくるか)
耳から音が入ってくるか(耳に蓋されたような感じにならないか)
このあたりが一つの判断方法になるだろう
次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。