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文化とは、「創り続けられるもの」をいう
ひとつの仮説がある。仮説とよぶよりもアイデアがある。
「記憶とは、つねに再獲得されている」。
なにかAという「もの」を覚えているのではなく、つねにAという状態になる「こと」で、人は思考している。
よく例えられるような「記憶のストック」のイメージは、じつはミスリーディングで、ただの喩えにすぎない。喩えに引っ張られてしまい、見逃しがちだが、記憶は持っておくものではなく、「なる」のではないか。
頭のなかに「コンテンツ」があるのではなく、つねに「コンテンツ」となっているのだ。
文化とはなんだろうか?
これも、よく「変わらないもの」のイメージで語られる。「伝統」という言葉と結び付いているようならば、なおさらだ。
何千年と受け継がれてきたもの。
では、Aという文化があるときに、Aを継承し続けているということなのか?
いや、これも記憶同様「つねに再獲得されている」と私は考えている。なにか決まったものを受け渡しているのではなく、「その都度、受け継ぎてが編み出していること」を「文化」というのだろう。
なれば、記憶も文化も「変わらないもの」ではなく、「変わり続けるもの」が、その本質にある。
「変わり続けても、見た目は変わらない」に人は「伝統」をみる。
人の生き方もまったく同じだ。なにか「コンテンツ」を「もっている」のではなく、その都度「なる」。
明日は、明日の自分に再度なっていくのだ。いま、つねに創り出されている。
以下オマケ
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