人は、言葉にできるものは表現しない
面白い話を聞いた。何を言っているか、想像もつかないけれど、話していることはものすごく興味深かった。
言っていることはわかるし、事実も追える。
しかし、その人の感覚が全然想像がつかない。
その人の、当たり前がわからないのだ。
その瞬間から、僕の中で「辞書の改訂」が始まった。あの言葉は?あの状況は?あらゆる経験から、その人の話を表そうとした。自分の中の言葉を変えていくこと、意味を加えていくことで対応しようとした。
だが、無理であった。
どうしても言い表せない。言葉を適切に当てられない。
ざわざわして、居心地が悪くなってきた。その人の話から「なにか」は受け取っているのだが、その「なにか」を言い表せない。
そのときに「表現」の感覚が少しわかった。人は、なにかを掴んでいるけれども「表せない」ときに、表現をするのだ。
たとえば、今受け取ったざわざわを「絵」にしたり、「音楽」にしたり、「詩」にしたり、現状ではわからないものをなんとか形にしたいから「表現」をするのだ。
僕が「表現」に至らないのは、「言い表せる範囲」だけのものを「表現」しようとしているから。
違う。そうじゃない。
その、どうしようもなさがあるからこそ、「表現」は駆動し始める。自分を「エッジ」につれていくのは、「死」からスタートするのは、そういうことなのだ。
ここから先は
0字
¥ 300
期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
本文は基本的に無料です。読み終わった後、ちょっとでも「はっ」とするものがあったら、「投げ銭」をお願いします。本を購入する資金にします。その数百円が、かけがえのないものになります!