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数字で分かることと分からないこと

やっと金曜日。今週は1週間ずっとコロナの影響でテレワークだった。
今日の時点で日本での感染者は3400人ほどいるらしい。日に日にその数は増えており、3週間前に妹の赤ちゃんが生まれ、体が決して健康ではないパパがいる私は、本当に恐ろしくて緊張感のある毎日を過ごしている。

そんな中、テレワークは外で大勢の人と接触しなくて済むから感染のリスクが減り、少しメンタル的にも安心させてくれる1つのケアとなっている。

通常でもほぼ毎日定時に退社するけど、仕事終わりに余っているエネルギーの量が、出社時とテレワーク時では全然違う。18時に会社パソコン閉じると同時に、自分パソコン開いて、ビリーズブートキャンプを1時間やれるくらいエネルギーが余っている。

そんな日々の中、大学時代の親友から「Flag of fathers(父親たちの星条旗)」という映画を観ろ、と突然ラインが来て、最近少し避け気味だった戦争映画を観てみることにした。

この映画は以前、ママにも勧められたことがあったので知っていた。「硫黄島からの手紙」という映画は有名だと思うが、それに対してアメリカ視点で硫黄島戦を描いた映画である。

私は比較的、戦争についてとか、貧困や途上国についてとか、わりとOLにしてはアンテナを張っている方だと思う。というのも、学生の時に本気で戦場ジャーナリストになりたいと思っていた時期もあったからその名残もあるのかもしれない。んー、名残というか、まだ、できることなら世界中を旅して自分の目で見たものをシェアしてお金を稼いで生きていきたいという気持ちはあるのだとおもう。

そんな私は数々の戦争に関する映画や本は観て読んできたと思うけど、実は「硫黄島からの手紙」だけは見たことがない。観ようと思えば見れる機会はたくさんあった。でもどこかで、怖くて、観た後のショックが大きすぎてSEX AND THE CITYを見ても心が回復しないのではないかと思っていた。
(私はいつも戦争や虐殺映画を見た後は、平常心に戻すためにSEX AND THE CITYを観るという習慣がある)

そんな中、硫黄島への手紙を観る為の1st stepとして、Flag of fathersを観ることにした。約2時間の映画。ネタバレのために詳細については書かないが、ワシントンDCのメモリアルパークに飾られている、「海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)」のモデルとなった3人の兵士が終戦後、どのような人生を辿ってきたのかが描かれている、他の多くの戦争映画とは少し変わった視点での映画であった。


映画の最後に、現在の海兵隊戦争記念碑が映されるまで私は気づかなかったが、実は私は高校1年生のアメリカ研修の時に実物を見たことがあった。(やはり観光するときはその歴史や生活、人々について調べていくのが大切だな〜と改めて痛感した。旅の価値が何倍にも変わる。)
9年前に見た時は分からなかったストーリーが見えてきて、なんだか知らなかった自分が恥ずかしくなると同時に、こんな裏話があったのか、と、ジーンときた。

映画を観終わった後、改めて硫黄島での戦死者の数を調べてみた。
日本兵士:2万2000人
米国兵士:7000人

東西8km・南北4km、面積たった21k㎡の小さな島で1ヶ月でこれだけの兵士がなくなったと思うだけでぞっとする。
でもここで感じた「ぞっとする気持ち」は、Flag of fathersの映画で3人のストーリーについての映画を観たのと観ていないのとでは全く違うんだろうなと思った。

数字で表すと2万2000人。多いんだろうな〜という感覚しか伝わってこない。でもそこには2万2000通りの人生があって、一人一人には何人もの大切な家族、恋人、友人がいて、生きて帰ってきたら会いたい人がたくさんいた。そんなことを思い浮かべると、2万2000という数字では表せない奥深いストーリーがあると感じた。

私がこうやって、数字にとらわれない考えを持ち始めたのは、高校2年生の時に東日本大震災のボランティアに行った時から。当時1万5000人ほどが死亡・行方不明と報じられていた。多いことはわかったが、いまいちピンとこなかった。
しかし、ボランティアで実際現地に訪問して、被災者の人からいろんな話を聞いたり、津波によって流された写真を拾い集め、家族に戻してあげたりする中で、1万5000人の重みを感じた。
この頃から私は、ニュースで報じられる数字の中身を知ろうとするようになった。

何が言いたいかって、人間の命は単に数字では語れないということ。直近ではコロナ。今も爆撃が続けられている戦場のシリアやイラン。何億という貧しい子供達の数は、きっとそれ以上のストーリーがあって、もっと重いものだということを忘れちゃいけないから。

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