卵の殻をむく、その時
中高時代の友人Aちゃんが、イタリアに旅行に来てくれた。
3日、4日かと思いきや、一週間ちょいもイタリアに来る、ということで、せっかくなら、と二人でイタリア国内旅行をすることになった。
日本から友人が来てくれるというのは喜ぶべき話でありながら、それがAちゃんであることについては、あまりいい気がしなかった。
でも実は、私とAちゃんは長い付き合い。小学5年生から仲良しで、中高ではずっと同じ部活に入っていた。それも、キャプテン、副キャプテンの関係性だったから、これまでの人生の中で私の隣にいた時間がもっとも長い友人、と言っても過言ではないくらいの人だった。
ただ、ある時期から、私はAちゃんのことが苦手になった。
彼女は、学問もスポーツもできて、人間関係にはまず苦労しないくらいのトーク力と気配り力、そして、丁度いいくらいの親しみやすさがある人で。まあ、とにかく何でもこなせる賢い子なのである。
だが、私はそんな才女のAちゃんに、納得いかないところがあった。
それは、自分を語ろうとしない、ということである。
言わずもがな、何でもかんでもさらけ出せてしまう私と正反対に、彼女は自分のことをあまり、というか、ほとんど話さなかった。
だから、勝手な想像だけど、たとえ彼女と親しい人はいても、もしかすると、本当のAちゃんを知っている人、知ることのできる人はいなかったんじゃないかと思う。
彼女は、学校で背負わされていたイメージが先行してしまうせいで、本当の自分を出すに出せなかったんじゃないかな、と私は思っていた。本当はこうしたいのに、そんなんじゃないのに。そう思っているAちゃんの心の中が、小学生時代の彼女を知っている私には何となく、読めた。だけど、目の前にいるAちゃん自身は私に吐き出そうとはしなかった。
Aちゃんとの間に亀裂が生まれたのは、私たちが高校生になったばかりの頃、ちょうど、Aちゃんが学校での色々な役割、同時に、重圧を背負わされ始めた時期のことだった。
私は、だんだんと彼女との距離がつかめなくなった。
その頃のAちゃんは、私の差しのべる手に触れようとせず、なんなら自分から分厚い壁を持ち出してきたのである。
部活の役割とか、そういうのがあることで、彼女と私はその後もずっと隣にいなければならなかった。ただ、私のAちゃんへの不信感みたいなものはどんどんと募り、それはいつしか彼女への嫌悪感に近いもの変わっていった。
髪型、トップスからジーンズのブランド、スニーカーまで同じになったり、双子みたいに以心伝心していた、中学時代の仲良しこよしの私たちは、もうそこにはいなかった。Aちゃんは大きな仕事を得ると同時に、魂を売ったような気がした。
そんな私とAちゃんの、一週間にもわたる二人旅。プライベートで二人きりになるのなんて、もしかすると高校2年生ぶりかもしれなかった。
大学3年生の夏を迎えた彼女は、やっぱりあの頃なんかより確実に生き生きしていた。魂は戻っている、と思った。
本当はそんなつもりはなかったのだけど、気づけば私はAちゃんの日常生活のこととか、過去のこととか、今まで聞けなかったことを根掘り葉掘り聞いたりしていた。でもそれは、Aちゃん自身の方が壁を取り払っているような感じがしたから、できたことだった。
Aちゃんの本音を知っていくことは、実のところ、私がずっと待ち侘びていた瞬間であり、殻からつやつや出来立てのゆで卵をむいていくみたいな、緊張感と高揚感の混じり合う時間でもあった。そして、私の持っていた嫌悪感の正体は彼女の距離の取り方から、寂しさを感じ、それがいつからか、怒りと変わったことによるものだと思った。
私は、自分でもない他人である彼女の内側を知ろうとし過ぎていたし、その人自身というものを求め過ぎていた。実際、本人はそうしたかった訳じゃなかったし、そうすることしかできなかった、というのもあったんじゃないかと、今の彼女の話を聞きながら、何となく思った。これまでの鎧を剥ぎ取った目の前の彼女は、以前よりも身軽で、それでいて、強さがあった。
まっさらな姿で、これからの将来について互いに語り合う時間は、本当にいいものだった。ずっとこっちの片想いだと思ってたけど、なんだか、そういうわけでもなかったのかな、と彼女の書いてくれた手紙の言葉たちをみて、そう思った。運命共同体ではもうない気がするけど。そんな必要も、もうないし。お互いに、お互いを思いながら。それぞれの地で。また、会いたくなったら、連絡してよ。友達って、こういう感じなのかもと、さいきん思う。
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