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イタリア人とコーヒー

イタリアに来るまであんまりイメージがなかったのだけど、イタリア人にとって、コーヒーはパスタやピザやジェラートなんかよりもずっと大事な存在なんじゃないかという気がする。

どのイタリア人の家にも、マキネッタという、エスプレッソを作る小さいポットのようなものが必ずというほど常備されていて、みんな、コーヒーを飲んでから一日を始める。

授業の間には「Buon caffe!」という先生の挨拶で休憩が始まるし、生徒が眠そうにしていれば「今日はドッピアを飲みなさいね」とコーヒーでジョークを言われたりもする。

街にはそこら中がバールで溢れていて、コーヒーの匂いが常にしてもいいんじゃないかと思うくらいだけど、さすがにそれはない。

イタリアのバールは基本そんなに大きくなくて、テーブルよりもカウンターがメインのお店も結構あったりする。

日本でいうマグカップの大きさで飲むのは、「カフェ・アメリカーノ」というものくらいで、基本は小指くらいの高さのカップの「カフェ・ノルマーレ」か「カフェ・マキアート」を頼む人がほとんどだ。

それだからか、基本はコーヒー一杯のために何十分もバールに滞在している人はそんなにいなくて、一口か二口でコーヒーを飲んだら、たわいない会話(これが長かったりする)をつづけて、ちょっとしたところでじゃあまた、と帰っていく、というパターンをよく見る。(新聞を読みながらコーヒーを飲むタイプのシニョーレはのぞいて。)

人の家にちょっと用があって行くとしても、「まあちょっとコーヒー飲んでいきなよ」と言われて、結局何時間か過ぎているなんてこともあったりする。

コーヒーを飲むことはイタリア人にとって、大事な習慣であるのだと思うけど、それと同時に、「コーヒーを飲む」という行為は、ちょっと一息つくための時間であり、そして、だれかと語り合うような憩いの時間をつくるための、ある意味、儀式のようなものなのではないかなと思った。

常連客のオジちゃんオバちゃんから、毎日のように愚痴を聞かされているバリスタのシニョーレは、どこで愚痴を吐いているのかなーと気になったりしてる。

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