夏とサザンと生きること
私が幼い頃、父の紺色のジャガーは夏になると屋根をなくして道を走った。
ぱたりぱたりと折り畳まれ、夏の太陽をじりじりと浴びながら、エンジンの音を聞く。熱風が吹き、シートの革の匂いがふわりと香る。
後部座席から手を伸ばし、iPodでスイカ頭のジャケット写真を探すのは私の役目だった。
夏は決まって、サザンオールスターズを聞いた。流行りの女性アイドルグループをループしたり、洋楽ブームに溺れた時期もあった。それでもやっぱり夏にサザンを聴くのは欠かせないことだった。
もうだいぶ前に、その車との夏はなくなったけれど。サザンのエレクトーンのイントロを聴くだけで、あの頃の夏の記憶が蘇る。
20年近く経った今、わたしはプロポーズ大作戦のころの山Pと同い年になろうとしているし、サザンは夏ライブを引退すると言い出したりしている。
当然のことなのに、今の今まで気づけていなかった。サザンの発表を受けて、はっとした。同じ時代を生きるアーティストが存在してくれていること。時間というものが有限であるということ。それを実感した。
ずっと、同じ、ということは無いんだ。
そう考えたら、悲しくもなるけれど、少しだけ前向きにも思えたりする。
過去は過去で大事なものがある。忘れたくないことがたくさんある。きらきらした記憶はずっと大切にもっていたい。
それでも、私たちは今を生きているのだ。未来に向かっているのだ。それって、ぜんぜん悪いことじゃない。むしろ、喜ぶべきことのはずだ。
それなのに、未来を期待することって、なぜだかちょっとこわい。過去の栄光に気持ちを寄せることの方が、よっぽど簡単だ。
だけど。だからこそ。私はそんな未来を期待すること、自分に期待してみることをがんばってみたい、とこの頃、思っている。
私は、今を生きる。時々、サザンを聴いて、あの頃を思い出したりしながら。