朝、電車で転寝をしていると何だか回復しない。目蓋は重いが、少し力を入れて目の前を見るようにする。朝を見るようにする。向かいの車窓から、沢山の風景が飛び込んでくる。すると、今度は何だか眠りに誘われる気分に陥る。そうしたら、今度こそ重力に応じる。終点はもう直ぐ其処だ。
長く、怠惰な生活を送っていたために身体も重い。それに、朝を過ごしたのも久し振りだ。四方に人。振り向いたら人。そんな場所に生きるのも久し振りなら楽しい。もう二度と味わいたくはないけど。
今日は何時間ほど拘束されるのだろうか? 何をするかも分からず、唯只管に向かうのは居た堪れないような、そんな感覚。間隔もなく襲われる、そんな感覚。分からないだろう? きっと誰にも通じない。言語によって編まれるモノではないから。もっと、想像よりも静かな下らない時の坩堝。省みて綴れば、(今よりかは)形容しやすかっただろうけど。
人の並ぶ通り、見えもしない列を進む。えっちらおっちらと。それでも、自分は能動的なんだぞということを強調したいがばかりに、その匂いを感じ取らせる。経験は、何時か固定される。ならば一層深くなるのが相場ではないのか。
取り敢えず、朝という時間の括りを大切にしてほしい。その曖昧で、でも生活の中だけにしっかり存在する囲いは、数色のグラデーションのように見れるのかも知れない。日々繰り返されるからといって無下にせず、あなたには大切に、大切にしまっておいてほしい。何の中だって構わない。忘れない場所に、そのままの状態で置いておけば良いのだ。
また目蓋が重くなってきた。朝を見よう。砂浜に行こう。奇を衒わず、好きなことをしよう。否、僕と一緒に出来ることをしよう。そうだ、そうしよう。何処へ行くでもない二人の時間をこの朝に作ろう。
少し趣旨から逸れた。言いたいことを言おう、ではなかった。まあ良い。こんな私のように好きにしてくれても良い。決して個人の問題ではないから。
きっとまた逢えるよね? それまで、どこへ?
無粋かも知れないけど、今はそう訊くしかない。心が僕を取り残さないように。手を伸ばして。

それで、一体何をするのだろう。
結局落ち着いてしまう自分を恐れているのか。あなたに逢えないなら、別にどうだっていいや だなんて言って、諦めて、手放しているように取られたらたまらない。
今日が最悪な日となったら、旅に出よう。そうやって前もって予防策を作っておく。そうすると、どちらに転んでも痛くない。否、本当は痛いけど我慢が可能になる。自分が我慢すればどうにだってなるんだよ と伝えたい。あなたと過ごしていた時の自分に。あなたへ綴っているんだよ とも伝えたい。
そんな台詞、似合わないだろ? って自問自答など。それも止めればいいのにね。不思議な物だけど、次を期待しているんだってさ。鵜呑みにしておいてくれ。またいつか。

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