Rico
満月が近づくと、調子が悪い「月の周期と自分の体調が関連しているのではないか」 と気づいたきっかけは”自然の恵み”である。 24時間の船旅を経て行ける小笠原諸島は、綺麗な海と輝く星が(天気が良ければ)毎晩無料で見れる。毎晩のように浜辺に通い、ぼーっとしながら話をする。そんな日々を4日ほど過ごすと、波の動きが毎晩違うことに気づく。 そしてある日は満月。波も荒れている。私の心も荒れている。体調も悪い。生理中である。点と点がつながるような感覚だった。 過去の記録を振り返るとより確信
5ヶ月ほど前になるけれど、映画「違国日記」を観た。レビューというよりは、映画を見て思ったこと・自分についての言及をする。 あらすじ所感私は槙生に、どこか共感できるところがありつつ、それでもどこか分からないところを見つけながら、作品から得られる気づきに浸りながら楽しんだ。 私から見て、槙生は「何か」という抽象的な概念と想いと決意を持ちながら強く脆く生きているように見えた。 作品の中でその「何か」が明瞭に表現されることはないように見えたが、彼女はその存在性を確信し、なんなら彼女
はじめに最近、書きものを生業としている人に触れる機会が多い。 どこかに憧れを抱く。多方面で活かせる、武器というか趣味というか職というかなんと言うか… 私は今、大学院生で研究を進めて毎日楽しく充実している。論文を書くというのも楽しいことのひとつ。 でも将来どうやって暮らしているのか、今は正直何も想像できない。 「色々なことを考えることだけはやめたくない」 願望はそれだけと言っても過言ではない。 今の自分の行動・actionがいつか何かに繋がることを信じて。 この2年に起き
最近よく思うことがある。 それは、 「言葉」にすることで救われることも多くある一方、 「言葉」にすることでこれまでぼかして誤魔化してきた事が明確になり苦しくなることもある ということである。 周期的な不調もあり、脳内多動も強くなり、うまく言葉が出てこない時期がやってきた。(詳しくは別の記事に書こうと思う。) 私は考えるときイメージやダイナミクスが強くて、表出された言葉との一致度を違和感として感じ取れるのだが、その違和感を言葉で説明ができない。 なぜなら、言葉の元になっている
投稿する記事の見出し画像を選んでいたとき、 写真フォルダーに空の写真が多いことに気づいた。 行った場所から見た空が必ずと言っていいほど残っている。 一言を添えて、noteに残してみよう。
ヘッダーの写真は、ヒカリエからの景色。 大きな窓から、たくさん窓のあるビルを撮った。 少し前の話だが、ロマンスカーに初めて乗った。 学びにいくための場所への移動手段として使った。休日だったということもあり、車内はわいわいと騒がしく、午前中からビールを片手に楽しんでいる人たちと同じ空間。 若干のアウェイ感じつつ、仕事を終わらせてから、ぼーっと景色を眺めていた。 ロマンスカーは、窓が大きく、景色が体感できる。 景色として、目に映る割合が高い。 景色と身体が一致してしまいそうな
夏休みに入り、時間ができたこのタイミングで考えが溜まってきたので、少しずつ残していこうかな。 何を目的に書くのか。 私を救いつつ、誰かを救うことを目的に書く。 とにかく書く。 私は今学生で、今年度で一応修了する予定だ。 そこで来年度は何をしていくかを、そろそろ定めなければならない時期である。 (〜しなければならないというのは誰に言われているのだろうか…) 私はこの先どのように生きていくのか、未来のことを考えるタイミングなのだが、どうもよく分からない。 やりたいことや目指
ずっとずっと,発信することを躊躇ってきた。 物心がつく年頃にSNSが流行り始め,周りのみんなが躊躇いなく発信する姿に置いていかれ, 発信する理由が見出せず,どこか納得ができず, アカウントは持っているものの自分が投稿することはしてこなかった。 最近気づいたことなのだけれど,「なぜなのか」を自分の中で納得しないと行動にすることができない私のようだ。 最近やっと,(全てではないけれど)素早く納得できるようになって, これまでぐるぐると考えていたことがつながった。 その結果,「発信
タイトル通り、「考え」が発散しています。 研究のことや日常で目に映る事象について、そして自分のことについて、色々その場で思ったことをあちらこちらに残したり、残していなかったりする。 ここまで書いて、少し逸れるけれど、発散するというのは私の中での発散なので、他者から見て全く分からないことがわかった。だから、この状況を把握してもらうためには、言葉を紡ぐしかない。 そして、このタイミングで見出し画像を選び始めたら、 空の写真が多いことに気づいて、 別の記事を書き始め、 記事で