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大聖堂のための石を、石切場から切り出す石工のように働きたい

幼児を抱えた友人が、渋谷にできたばかりの宮下パークを訪れて「思ったのと違った」と肩を落としていた。子どもを安心して遊ばせられる場所が全然ないというのだ。若者が呑んだり買ったり騒いだりする場だ、と。

「MIYASHITA PARK」は確かにパークではあるけれども「公園」であることを辞めてしまったのかもしれない。

ヨーロッパを旅する時、新しい街に着くとまず訪れる場所がある。地図を開き、「Markt」とか「Platz」「Square」と書かれた場所だ。

どれも「広場」みたいな意味なのだが、そこには街自慢の大聖堂があり、朝には市が開かれ、午後は子ども達が走り回り、夕刻には演劇なども行われる。

異邦人の僕がペタッと座っていても、「だれの人生も邪魔していない」という安心感がある。この包容力はやはり、数百年そこに立ち続けている大聖堂のなせる業だなぁと、感心する。

大聖堂を美しく映像化するのは簡単だけれども、正しく空気感を伝えるのは難しい。
数百年前と変わらない、静かで、重く、穏やかで、まるみのある、空気。「どれだけの人がどんな理由で、ここを訪れたのだろう」と、つい想像してしまう、あの空気だ。


英国のケン・フォレットという作家に「大聖堂」という作品がある。大聖堂建設までの何代にもわたる人間ドラマがめちゃくちゃ面白い。とにかく色んな仕事人が登場するし、そのひとりひとりにドラマがある。

大聖堂を作るレンガを削り出すための石、その石を手に入れるための石切場ひとつでさえ、勝ち取るのが命がけだったのだ。「ただの岩場」の採掘権を得るために、知恵を絞り、偉いひとに根回しし、命をかけ争い、勝ち取った。

時代の最高の技術者、権力、富、労働力が一つところに集められ、街の人びとに見守られながら世代を超えて完成する。そうして作られた大聖堂に、現代を生きる僕もまた癒される。
すごい仕事だ、とつくづく思う。

ローザンヌ, 2015

大聖堂に思いを馳せていると、ふと疑問がわく。
”私たちの時代の大聖堂”ってなんだろう。

東京タワーの方がスカイツリーよりも大聖堂的だ。ちゃんと東京という街の「真ん中」にあることや、人生でたびたび訪れ、私たちの一部になっているからかもしれない。

新国立競技場も、ひょっとしたら大聖堂になれたのかもしれない。でも、何かが足りない。市民が心から求め完成を見守ったとは思えず、どこか「お上」から降ってきたもの、という感が否めない。

ディズニーランドはどうだろう。いい線をいっている気がする。子どもの頃から、日曜日には親に手を引かれ訪れ、大人になれば結婚式を開く人もいる。ライフイベントに組み込まれていて、まずまず大聖堂的ではある。

しかし、入園のための「お布施」の壁は高く、金のない旅人や、乳飲み子、ホームレスの気軽に入れる場所ではない。多くの人の「居場所」にはなりえない。

今の時代に大聖堂的なプロジェクトってなかなか見つからない。それは働く僕らにとっては、あまり幸せなことではないような気がする。

プラハ, 2009


20時までの営業自粛要請を受けて、心配をしていた馴染みの飲食店を訪れた。同じように1人で訪れているお客さんが何人もいた。ただ空腹を満たす場所ではなく、ひとりでも来れる「居場所」を守りたい。そんなふうに思っているのは、僕だけではない気がした。

現代の東京において飲み会は「日曜のミサ」で、飲食店は「小さな教会」みたいなものだったのかもしれない。となると、私たちが守るべき現代の大聖堂は「街」だろうか。


家の向かいにタワーマンションが建った。以来、正午を過ぎるとうちには陽が当たらない。暗いし、寒い。現代の巨大建築物は立ち入るのにしばしば「資格」や「お布施」が必要だったり、誰かの豊かさのために、誰かが犠牲になっていることがとかく多い。

個人的には、そうした「パイのとりあい」を促したり、分断を生んだりする仕事からは距離を置きたいと考えるようになった。
消費欲を満足させたり客寄せパンダになるでもなく、なるべく長く多くの人の居場所となるような、そんな仕事にエネルギーを使いたい。派手さはなく、たとえ名前が残らなくても。

大聖堂に使われるレンガを、石切場から切り出した石工のように。


ノッティンガム, 2018

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