版画作品展へ行った話
田園の中の一本道、汗を流して自転車を漕ぎつつ、先ほどまで訪れていた版画展のことを思い出している。
展示会場はぼくも度々訪れるオープンスペースだが、普段と違った賑わいを見せていたので、入るのをちょっとためらった。「ひとが来だすと急に来ますね」という声が聞かれたので、たまたま来場の多い時間帯だったのだろう。壁面には想像していたよりも1.5倍ぐらい大きな作品がずらりと並んでいる。まるでギャラリーみたいだな、と思った。普段あまりにも自由に過ごしている場所なので、こういうハレの場になっているのを見ると不思議な感じがする。
作品には、沖縄問題を始めとした「反戦」や「人権」といったメッセージが流れていた。とあるシリーズでは、黒一面に塗りつぶされた画面の中に、沈没船や強制収容所といった戦争の象徴が小さくボンヤリと浮かぶ。作者は遠くからその光景を眺めている。見る側はなんとか近づこうと目を凝らすが、そこにはどうしようもない距離がある。その距離は、いったい何の距離なのだろうか。
会場を2周ほどしたとき、ちょうど作家の方と他の来場者との歓談が途切れ、ぼくに話が周ってきた。まるで「若い人」の代表のように感想を求められることには少し戸惑いつつ、「距離感が……いいなと思いました」と述べた。我ながら、なんとも薄っぺらい感想だなと思った。こういう時に(作家本人に対して)屈託ない意見を述べるというのは苦手だ。どこかで「作家が望む言葉」を探そうとする自分もいるし、一方でそれは芸術に対して不真面目な姿勢ではないか、と戒めるような自分もいる。
こういう反省は後になってから湧き出てくるもので、その場では何かしらモヤモヤが残るだけである。
今から考えると、ぼくは作品のメッセージ性に捉われ過ぎていたのではないか、と思う。この企画に意図があったことは確かだ。でも、最初から「そういう作品」という強いイメージで作品と相対したために、見逃してしまったものがなかっただろうか。
……そんなふうに考えていると、もう一度「アート思考」の本を読みたくなってきた。こうやって読みたい本は増えていくんだなあと思う。