10月とクレープと珈琲と。
十月の風が肌に少し冷たく感じられるようになると、街の至る所で秋の匂いが漂い始める。木々が赤や黄色に染まり、道端にはカサカサと音を立てる落ち葉が舞う。季節の変わり目というものは、どこか特別な感覚を呼び覚ますようで、その瞬間瞬間に感じるものが、深く心に刻まれる。十月はまさにそんな時期だ。
私は十月になると、どうしてもクレープと珈琲が恋しくなる。これには理由がある。昔、学生時代のある秋の午後、友人たちと訪れた小さなクレープ屋がその起点だった。古びた木の扉を開けると、ほんのりと甘い生地の焼ける香りが出迎えてくれた。温かいクレープが冷えた体をほっとさせてくれたのはもちろんだが、その時、初めて味わった深煎りの珈琲が、意外にもその甘さを引き立てたのだ。苦みが甘さを包み込み、互いに強調し合いながらも主張を抑えあう関係。あの時感じた口の中での絶妙な調和が、今も忘れられない。
十月の午後、私はよくその記憶を追い求めてカフェに足を運ぶ。窓際の席に座り、目の前に広がる秋の風景を眺めながら、クレープと珈琲を注文するのが私の小さな儀式のようになっている。クレープの生地が薄くてパリッとしていながらも、内側はしっとりと柔らかい。その食感がまた、外の冷たさと内の暖かさを思わせる。珈琲を一口飲むと、ふとその昔の友人たちとの会話が蘇り、笑顔がこぼれる。
秋は、何かが終わり、何かが始まる季節。木々が葉を落とし、自然が次の季節への準備を進めるように、私たちもまた、心の中で何かを整理し、新しい何かを迎える準備をするのかもしれない。クレープと珈琲の組み合わせは、私にとってその過程の象徴のようなものだ。甘さと苦さ、冷たさと温かさ、静けさと喧騒。すべてが絶妙なバランスで共存している。
そうして過ごす十月の午後は、ただの日常の一瞬かもしれないが、その一瞬一瞬が、私の心に深く刻まれていくのを感じる。そして、その中に漂うクレープと珈琲の香りが、季節の移ろいとともに、いつまでも私の中に残り続けるだろう。