いまり
菅田将暉LIVE「SPIN」2日間行ってまいりました。 はい、端的に表すと【渋】 もう【渋】。ステージに彼が現れた瞬間その巨大な漢字一文字が脳を陣取ってて追い払うのに必死だったけど結局最後まで追い払えないまま一日目終了。 衣装のネタバレをすると、なんていうのかな、「革ってずっと使い込んでくといい味がでて~育てるっていうか~」とか革商品買うと絶対店員さんに言われますよね、それ!そのafterの方の革ジャケ!!素人目からみても、「革の本気みせてもらいました」っていうなんだろう
自分の顔って飽きてきませんか? もちろん10年や20年やらの長期スパンでみると顔は変化しているので、飽きるって感じることは少ないかもしれないけれど。(むしろ戻りたい〜って思う日々。泣けるね。) で、毎日、同じ顔みてると飽きるので、メイクで変化つけるしかないってなります。日々に少しでもときめきがほしいです。わたしのモットーは、「ときめきは自家発電」です。 14歳でメイクに目覚め、はや20年以上。 キラッキラのラメだとかファービー(懐)顔負けのバッサバサのまつ毛だとかインコ
「あなたにはこの世界の彩りが どう見えるのか知りたくて今」 米津玄師の『春雷』の歌詞である。まさにこの歌詞は、私が米津玄師に対して常日頃思っている気持ちそのものである。 この気持ちに導かれ、『創作者の体感世界』(横道誠著 光文社新書)を読んだ。 この本は、発達障害と診断された著者が、当事者の立場から研究と批評を行う「当事者批評」の書である。 「筆者が、さまざまな創作者をじぶんの分身と見なし、慰められ、生きる勇気を与えられてきたという体験世界だ。」(p.6) とあるように
2024年はじめてのnote。月一ペースで書いていきたいなぁ、という新年の目標。 140字じゃ抱えきれなくなり爆発しそうになったら書きます。というか140字ってのもいずれ死語になるのかなぁ、と思いながら。 さて、引き続き、米津玄師の音楽を毎日のように聴いて聴いて聴いて、歌ってみて、鑑賞して、自分なりに味わって。(噛んでも噛んでも味がなくならない、むしろ味が増していくガムのようだ、米津さんの曲は) 自分の中で最難関だった「diorama」(1stアルバム)を自分なりに咀嚼す
※タイトルは米津玄師「ゆめうつつ」より引用 今思うと、子どもの頃から思春期にかけて、おっさんを感じさせる本や音楽が好きだった。日本のおっさん特有の哀愁っていうか、クタクタのスーツ着て家族のためにエンヤコラみたいな、そんなのになぜか共感を覚える10代だった。 我が家はサラリーマン家庭ではないので、もしかしたら未知なる存在への憧れがあったのかもしれない。 小学生のとき「ビタミンF」「ナイフ」「エイジ」(順不同)に出会い、重松清にハマり。 まわりがモー娘。で盛り上がる中、兄の
突然ですが、米津玄師2019年TOUR 「脊椎がオパールになる頃に」DVD📀が大好きです。 2023年5月、米津玄師ライブ「空想」に参加してからはや6カ月、「おぉおぉ、これが沼ってやつですか」と幸せすぎる底なし沼、全然抜け出す気はないズブズブのドロドロのピカピカな沼にもう頭のてっぺんまでつかっちゃってるのですが。 その沼の入り口は、「空想」と見せかけて、この「脊オパ」だったんだろうと思う。 もともと、常に新しい刺激を求めてるので、好きな本だとか映画とか、繰り返し観るタイプ
夏が終わりますね。 全く終わる気配もない、うだるような暑さだけど一応8月が終わりという、夏休み区切りな感じのなんかそんな感覚ありますよね。 さて今年の夏は、個人的には仕事を一旦辞めて、子どもとじっくりと向き合う夏にしようと思いながら、 まーーーーーーーじで寝てる時以外ずっと米津さんのこと考えてた!!嘘だと思うなら脳内みてもらっても構わない!!! ていう感じでした。 米津さんとは花火大会も行ったし(脳内で)温泉も行ったし(脳内で)海も行ったし(脳内で)結構思い出作れたと思う
久しぶりの更新です! はい、何を隠そう、私 米津玄師沼にどっぷりと、もう、本当にどっぷりと浸かってしまいまして。先日のライブから。 もうね、ライブ行ったのは必然だったんでしょうね。人生の年表に深く刻まれました。 最初はね、本命がいるので、この気持ちに蓋をしていました。けどね、あの日から離れないんですあの音楽が。声が。loserが。もう一度生で聴きたくて聴きたくてあのパフォーマンスが見たくて仕方ないの。 まさに聴く麻薬。聴かずにはいられない。中毒。24時間聴いてたい、寝て
めちゃくちゃ久しぶりの更新です。 今回は!菅田さんのお友達の!づんし、デカレモン兄ちゃん、こと米津玄師のライブに初めて参戦。 浮気ではないんです、推しの友達は私の友達だから。(余談ですが夢の中で米津玄師とカラオケ行ったことあるのが自慢です。) ライブ前に「菅田将暉と米津玄師」というテーマでnote更新しようと思ってたのに日々に忙殺されなかなか書けず。また後日書きます。 米津さんの歌はもちろん元々大好きだったけど、何よりも菅田くんのラジオに何回かゲストで来てくれて、話してい
はい、バレンタインに菅田将暉に会いに行ってきました。 推し活に理解がある職場すぎて、本来休み希望推奨してないとこなのに三連休にしてくれた、優しい、ありがとうございます。 武道館の二階席スタンドの後方という、めちゃくちゃ遠い席だったので、Zeppとは違い緊張せずに挑めました。今回初参戦の夫にはセトリを教え込んで、、たのに? 一曲目から全然ちがーーう!!!(まぁ当たり前だけど) 同じライブ名なのにここまで歌う曲変えてきてくれるんですね、お忙しい中本当に、貴方って人は、、涙。あ
やっと今年1本目のnoteが書けます。年末までに10本書くと息巻いてたけど、まぁ、無理でしたね。そういうとこあるよね、自分。 ということで。「あゝ荒野」について。 菅田将暉沼に私をドボンと落としたこちらの作品。前後編で約5時間なんですね。 なかなか観るのに気合がいるので、一回しかみてなかったんだけど、菅田将暉を語るのにはこちらを避けられない、ってことでもう一度観ました、3年ぶりに、夫と。(そしてなぜか年末になると観たくなるんだよな、全く正月要素ないんだけど。)(てかショート
菅田将暉の曲は全部大好きだけれど、どれか選べって言われたらこの曲を選ぶ。 「ばかになっちゃったのかな」 デビューシングル「見たこともない景色」のカップリング曲。 一番最初のnoteで述べた、菅田将暉の母音aが炸裂しているのがこの曲。 なんてったって「ば か に なっ ちゃ っ た の か な」 タイトルだけでも7回入ってる。 そして何よりもこのMVですよ。(公式動画より引用させていただいた) 眩しい。まばゆい。キラキラ。好き。 語彙力がぶっ飛ぶくらい、もう、大好き。(
さて2日目。 クワイエットジャーニー席(1人席、通常席よりも値段が高く、前方確約)が当たったので、この日が私にとって本番。左側の5列目!です! 昨日の10列目でさえ肉眼でみえたので5列目とかもうどうなっちゃうの状態。 昨日はちゃんと菅田くんが名古屋に着いたか、とか体調崩してないか、といった心配事が多すぎたけれど、昨日会えたし、元気そうだし、問題はクリアされたので純粋に楽しもうという気持ちで2日目を迎えることができた。 Zeppの一列目の距離感は、例えるならば終業式の校長
菅田将暉について書きたいことがありすぎる。 なによりまず、この記憶が確かなうちに、神様と会った2日間について記しておきたい。 そう、はじめて、会いました。 菅田将暉。 私の神様。 「クワイエットジャーニー」 そう、ライブです。 なんせ沼に入ったのが3年前なので、ちょうどコロナ禍突入し、会う機会がなかったのである。 オンラインライブはやってくれたので、もうそれだけでも御の字だったけれど、、 でもついに!!3年間毎日のように考えて、影響されて、声を聴いて、悶えた、どうしよう
我が家が車を所有していた時期がある。東京から郊外に引っ越した一年間。 車といえばBGMである。 そのとき何気なく流れた「さよならエレジー」 夫「これ誰の歌だっけ?」 私「菅田将暉だよ。」 夫「いい声してるな」 私「うん、まぁ、うまいっていうか、俳優だけあって、なんか味がある声だよね。(あくまでまだ認めないぞスタンス)」 そこから週末ドライブに行くときの私たちのBGMリストには菅田将暉が加わった。 そんなこんなで映画や音楽でジリジリジリジリ私の生活に入り込んできた菅田将暉
毎日毎日菅田将暉のことを考えているけれど、実はまだ菅田将暉歴3年、ひよっこである。 どう足掻いても抜け出すことのできないこの幸せな沼に落ちてしまった経緯について記しておきたい。 実は、最初の印象はよくなかった。 某携帯電話会社のCMに突然現れた鬼さん。なんかテレビとかで名前よく聞くなぁ。まぁ今流行りの雰囲気イケメンってやつだろう、きっとすぐまたいなくなる。彼のことを何も知らないのに、若手俳優をちょっと上から目線でみてる自分が好きだったのであろう。 もともと妻夫木聡、長瀬智