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呼吸
その人と一緒にいて呼吸が出来なくなるのなら、たぶんその人は運命の相手ではないんじゃないかな?
今日拾ったOSHOの言葉が、彼女用かな?と思ったのでシェア。
引用:Osho - The Secret Of Secrets
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あなたは呼吸を
もっと深く体験し、
詳しく調べ、
観察し、見守り、
分析しなければならない。
呼吸が感情とともに
どう変化するかを
見てみなさい。
例えば、
恐怖に駆られているとき、
呼吸に起こる変化を
観察するがいい。
そして、
いつか恐怖に駆られたときと
同じパターンに
呼吸を変えてみるがいい。
あなたは驚くだろう―
呼吸を恐怖に駆られたときと
まったく同じパターンに変えると
恐怖が湧いてくる。
それも即座にだ。
誰かと
深く愛し合っているときに、
自分の呼吸を観察するがいい。
恋人の手を取り、
抱きしめながら、
自分の呼吸を観察しなさい。
そして、
いつか樹の下に静かに坐り、
自分が再び
同じような呼吸をしているのを
見守りなさい。
パターンをつくりだし、
同じ光景(ゲシュタルト)を
呼びもどすのだ。
まるで恋人を
抱擁しているかのように、
同じ仕方で呼吸をするがいい。
すると、
驚くようなことが起こる。
全存在があなたの恋人になる。
再び大いなる愛が
あなたのなかに湧いてくる。
それらは連動している。
それゆえに
ヨーガ、タントラ、タオ―
人間意識とその拡大に関する
この三つの深遠なシステムと
科学において、
呼吸は鍵となる現象の
ひとつになっている。
この三つはそろって
呼吸に働きかけてきた。
仏陀の瞑想法のすべては、
ある一定の呼吸の質に
かかっている。
彼は言う―
「ただ自分の呼吸を見守りなさい。
呼吸を変えなくてもいい。
少しも変えることなく、
ただ見守るのだ」
と。
だが、
不思議なことに、
見守るやいなや、
ただちに呼吸は変わる、
ひとりでに変わらざるをえない。
仏陀は
「呼吸を変えてはいけない。
ただ見守りなさい」
と言う。
だが、
見守るやいなや、
ただちに呼吸は変わってしまう。
注意深さには
独自のリズムがあるからだ。
仏陀が
「呼吸を変えなくてもいい。
ただ見守りなさい」
と言うのはそのためだ。
注意深さそのものが
独自の呼吸を生み出す―
変化はひとりでに起こる。
そして、
次第に不思議なことが
起こってゆく―
注意深くなればなるほど、
さらに呼吸は減ってゆく。
呼吸はより長く、
より深くなってゆく。
例えば、
1分間に
16回呼吸をしていたなら、
呼吸の数は
6回、4回、3回と減ってゆく。
あなたが注意深くなるにつれ、
呼吸はより深く、
より長くなってゆき、
呼吸の回数が
どんどん減ってゆく。
また逆に、
呼吸の側から
働きかけることもできる。
ゆったりと静かに
深く長い呼吸をしてゆくと、
突然、あなたのなかに
注意深さが生まれてくる。
あたかも
ひとつひとつの感情が
呼吸システムのなかに
もう一方の極を
もっているかのようだ。
感情は呼吸によって
誘発することができる。
だが、
一番いいのは、
恋をしていたり、
友人のそばに坐っているときに
観察することだ。
自分の呼吸を見守りなさい。
なぜなら、
その愛に満ちた
呼吸のリズムが
最も重要だからだ。
それは
あなたの実存全体を
変容させる。
愛のなかでは、
分離した存在として
身構えることの馬鹿らしさ、
虚偽を最も痛切に
感じ取ることができる。
だが、
まさにこの分離、
この不条理さによって、
人は他の方法では
表現しえないことを
表現することができる。
他者であるという
まさにそのことによって、
人は互いがひとつであることを
祝えるようになる。
そこに愛のパラドックスがある。
あなたがたは
二人でありながら、
一体感を感じている。
ひとつでありながらも、
二人であることを知っている。
二人でありながら
ひとつになった状態―
そこに愛の逆説がある。
そしてそれは
祈りの、瞑想の
パラドックスでも
なければならない。
究極的には、
あるまれな価値
ある瞬間において、
人は恋人、友人、
母親、子供に感じるような
一体感を<存在>に対して
感じなければならない。
他者として
分かたれているからこそ、
人は互いがひとつであることを
祝うことができる。
『ヴェーダ』は言う―
タットヴァマシ、
我はそれなり。
そこには
分かたれているという
明晰な自覚がありながら、
しかも深い合一感がある。
彼は
大洋から分かたれていながら、
しかも
大洋から分かたれていない。
自分が
愛にあふれている瞬間を
もっともっと見守りなさい。
注意深く醒めていなさい。
呼吸がどのように
変化するかを見るがいい。
身体がどのように
打ち震えるかを見るがいい。
恋人を抱きしめて、
実験してみるといい。
すると
不思議なことが起こる。
いつか抱擁し、
互いに溶け合いながら、
少なくとも一時間は
一緒に坐ってみるといい。
すると
驚くようなことが起こる―
それは最もめくるめく体験の
ひとつになるだろう。
一時間、何もせずに、
ただ抱き合い、
互いのなかに落ちてゆき、
互いのなかに溶けてゆくと、
やがて徐々に、
呼吸がひとつになってゆく。
身体は二つだが、
こころはひとつであるかのように、
息が合ってくる。
二人は一緒に呼吸している。
一緒に呼吸しているとき、
努力して合わせるのではなく、
愛の感覚に圧倒されて
自然に息が合っているとき―
それは最も貴重な、
最もすばらしい瞬間であり、
この世のものではなく、
はるか彼方からやって来たものだ。
そういった瞬間、
あなたははじめて
瞑想的なエネルギーを
一瞥(いちべつ)する。
そういった瞬間、
文法は意味を失い、
言葉は途絶える。
それを口にしようとしても、
言葉にならず、
そのまさに言葉を失うことで、
言語を絶したものが示される。
そしてそれが、
より深い次元において、
師との関係にならなければいけない。
そのときはじめて
タオは師から弟子へ
炎のように飛び移ることができる。
あなたは呼吸のアートを
学ばなければならない。
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OSHOはわかんないひとにはわかんないらしい。
クラスメイトさんたちはどうだろう??
引用部分がぴったり2222文字だったよw
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